さすらい人幻想曲

第5章:ラサ    Lhasa

 アメリカからの19人は、私を見ると口々にどんなに私のことを心配したかと言った。たった一人の私が残りの19人のことを心配するのとは、わけがちがうと思うと、いささか得意でもある。ホテルの送迎バスから見る成都の景色が「普通」に変わってしまったのに気がついた。もう見慣れてしまったからか、あるいはそれが「安心」を手に入れた代りに私だけの「冒険」が終わったという印なのかもしれない。ホテルもびっくりするくらい豪華だった。これからの宿は必ずしもこうはいかないので、今のうちに楽しんでおくようにとのことだが、前夜の中国らしいホテルを思い出し、鶴見さん達に早く報告しなければと思った。しかし彼らにはついに連絡がつかなかった。

 旅のリーダーであるフランクはとても大柄で、フサフサのグレーの髪が初老の彼を若々しく見せていた。彼は軽いしわがれ声で、定年退職したばかりの教授らしい落ち着いた口調でしゃべった。
 旅のスケジュールに同調しない自分勝手な人達にイライラしている時も、そのゆっくりとした口調は変えなかった。
 彼の妻のジャネットは、大柄のフランクの胸のあたりまでしか背丈のないとても小柄な、人当たりの良いチャーミングな女性だった。目が合うと「気分はいかが?」と、いつも皆の調子を聞いていた。だから彼女が体調が崩れて寝込んだ時は、私も家族のことのように心配した。

 ドクター・ボンナムは、去年「霊気」のセミナーで出会ったという恋人を連れていた。ボストンで精神分析医をしていたオフィスをたたんで、最近ドクター・ボンナムのログハウスに越して来たばかりのとても賢そうなスザンヌは、驚いたことに彼の別れた妻とまったく同じように、澄んだ声でゆっくりと話すのに気がついた。二人は本当に愛し合っていた。恋をしているドクター・ボンナムを見るのは初めてである。二人はいつもいつも一緒だった。彼女がオフィスをたたんでドクター・ボンナムのもとへ来ることになったという知らせを私は彼からの電子メールで知っていた。
 結びに「何かを切実に熱望すれば、必ず奇跡がおこる」とあった。その「何か」あるいは「誰か」がいったい何なのかを確実に知っている彼が羨ましかった。

 私の旅のルームメイトのアンは、 William College  時代、同じピアノ科の後輩だったコリーンの義理の姉だとわかった。これも不思議なめぐりあわせだ。かつてコリーンは我が夫にかなわぬ恋心を抱いていたのだ。その恋をあきらめようと苦しみもがいていた時、今の夫であるフルート奏者のダンに出会ったのである。私がそれを知ったのはずっとあとのことだった。
 アンは大学で美術を専攻した。旅行中もひまさえあればスケッチをして、持ってきた水彩絵の具で淡い色を塗っていた。
 大学時代のボーイフレンドだった夫とおととし、結婚15年目で離婚して11歳の息子がいる。彼女は就寝時になると息子の話をし、口癖のように「パトリックに電話をしなくちゃ!」と言った。でも実際電話して息子と話したのはほんの1〜2回だけだった。

 ホテル内の豪華なバイキング料理のレストランで、太平洋を越えてきた異国の仲間達に改めて挨拶をする。
席につくと私の向かい側に座っている初老の女性達が、もう宗教の話に花を咲かせていた。
「今日、成都の町に着いて、つくづく思ったの。とても不思議なんだけど、本当に私はクリスチャンなんだって思ったら、胸が熱くなったわ。だから何を見せられてもクリスチャンの目で見ることを忘れないようにしようって、、。」
 かつてミショナリーの妻としてインドに住み、ドクター・ボンナムが通った学校で教師をしていたというマリアンが、鼻の頭に顔に似合わないくらい大きな眼鏡をかけ、上目使いでまわりを見ながら言った。
 これまたとてつもなく分厚い眼鏡をかけたジャネットがアラブのアクセントのチャーミングな英語で言った。
「私はパレスチナ人よ。アメリカに来てプロテスタントになる前はギリシャ聖教で育ったのよ。アメリカは長いけど私は今でもパレスチナ人の魂を持っているし、宗教だってアメリカ人の感覚とは違うわ。むこうでは宗教を考えるんじゃなくて、宗教をやるのよ。それについてグチグチ討論したりしない。アジアの宗教もきっとそうだから、楽しみだわ。ノリコはやっぱりブッディストなんでしょう?」
「私の父は禅ブディズムの僧侶で、私はお寺に生まれ育ちました。」
 まわりのアメリカ人達が、「オーッ!!」と歓声をあげる。よほど興味深いことにちがいない。間がぬけたようなテネシーアクセントでしゃべるナンシーがゆっくりと言う。
「禅のプリーストが結婚できるなんて知らなかったわ。そういう人達はみんな山に篭って、一生瞑想するんだと思ってた。」
 皮肉もまじっていたのであろう彼女の言葉は別に気にならなかった。逆に私は言った。
「そのとおり。仏教の教えは、一人山に篭って修行して始めて通用するようなものなんですよ。でも残念ながら文明国である日本の僧侶達も物質史上主義にどっぷりつかっています。もちろんそうじゃない偉い方達もいますけど、、。お寺の宗教のセレモニーもすっかりビジネスになってしまっている。僧侶達も普通の人間と同じように『欲』の世界から逃れられないのです。彼らがもし結婚できなかったら日本の僧侶達の数が半分以下に減るんじゃないかしら?ブッディストであるはずの私がこんなことを言うのも変だけど、、。キリストだってきっと『キリスト教』という名のもとで人間どうしが殺し合うことになるなんて考えもしなかったんじゃないかしら?それも枝別れした同じ教徒どうしがね。」
 私のとなりに座っていたいかにも人の良さそうなロバートが突然アハハハと笑った。
「ノリコの言うことは良くわかるよ。僕も牧師の息子として育ったからね。見なくてもいいものを見てしまい、反発することなんてしょっちゅうだった。それで、長い間神なんかいらないと思っていたよ。でも宗教家の家で育つ以上どうしても宗教を考えざるを得ない。どんなに抵抗してもそこから逃れられないんだ。だから今ここでこうしているのかも知れない。」
「私はブッディスト、クリスチャン、ヒンディーとかをあまりはっきり区別したくないと思うんです。同じ人間が信じる宗教である以上、きっと東洋の宗教も西洋の宗教もどこかでつながっているんじゃないかと思うんです。」
と私が言ったとたん、中国のビールをまずそうにすすりながら、ななめ向かいに座っていたロスが首を横に振ってバカにしたように私を見て、皆に聞こえないような低い声で言った。
「No, no, no, no!」
 私は今言った自分のせりふが実に愚かだったような気がして、あわてて目をふせて皿の上の四川料理に取りかかった。

 朝の4時半にホテルを出て6時初のラサ行きの飛行機に乗り込む。フライトの途中、窓からエベレスト山が見えた。太陽の光りを反射しながら一面の厚い雲の間から峰を突き出している真っ白な世界の屋根は神々しく輝いていた。この山を征服しようと何人もの登山者が挑み、ほんの一握りの人々が想像を絶する試練のあげく、やっとこの頂上に立つ。生きている証、まさに自分が今、こうやって生きているんだと、そこであらためて認識するのだろうか?
 エベレストのはるか上を飛行機というマシーンの中に座って飛び越えている自分が不思議に思えた。

 ラサの空港は肌寒かった。全体が遠く灰色の岩山に囲まれていて、まるでどこか他の惑星に着陸したように思えた。バゲッジクレームで荷物を待っていると、誰かが私の肩を軽くたたいた。振り向くと鶴見さんと吉村さんが立っていた。まるでなつかしい戦友にでも出くわしたように興奮して抱き合った。
「ノリコは友達を作るのが早いわね。」
ジャネットが目を丸くしていた。
「成都で彼らが私を救ってくれたんです。」
と私は答えた。
 鶴見さんの顔がなんとなくゆれて見える。そう言えばさっきから頭が何かにしめつけられている感じがする。
「おかしな感じがするでしょう?僕も頭がボーっとしてるんですよ。何しろここは富士山より高いんですからね。酸素が不足して自然に呼吸の数が増えるので体が水分を要求するから、できるだけ水をたくさん飲んだほうがいいですよ。あっ、その水、少しいただいていいですか?」
 彼は私が持っていたミネラル水を口をつけないように気をつけながら飲んだ。
「これ、インド式の飲み方でけっこうむずかしいんですよ。」
 吉村さんも加わりまわし飲みをする。
「高山病は夜に来ますからね。頭が痛くて吐き気がすると思ったらそれですよ。くれぐれも気をつけて。今日はジっとしてなくちゃ。ポタラ宮の階段なんか登ったらだめですよ。僕らのホテルにヒマな時遊びに来て下さい。良かったら晩飯でも一緒に食べましょう。」
 彼はホテルの名前と場所を教えてくれ、その場を去った。それを私は間もなく忘れてしまった。高山病は酸素がうまく脳に行かないので、まず物忘れから始まると教えられたのはあとからであった。グループ行動をし始めた私は、ついに彼らと会うことができなかった。

 空港から町まで2時間近くバスに乗る。神様が自分の傑作をそのままそっと汚さずにおいたような雄大な景色に息を飲んだ私達は、何度かバスを止めてもらい外に出て写真を撮る。はるか遠くで手漕ぎ船がゆっくりと通る広大な川と背後の険しい灰色の山々に胸が熱くなる。空気が薄いせいか、どこまでも続く空が、むらさき掛かった青に見える。雲もまぶしい程に光って見え、風にわななく大麦の緑がヒスイのように美しい。まるですべての時間が止まってしまい、異次元に迷いこんでしまったようだ。
 「ラサとは『神の土地』という意味です。『ラ』 が神、『サ』 が土地です。」北京で英語をマスターしたという浅黒い肌のチベット人の女性ガイドが説明する。
 ホテルにチェックイン後、ルームメイトのアンと散歩して、並べてある民芸品とチベット絨毯がエキゾチックな雰囲気をかもし出す小さなチベット料理の店で、チベット風カレーポテトと豆入のチャーハンに舌鼓を打つ。どれもほんのり甘いヤクバターの味がする。

 「一日ジっとしていて」と言われても、このグループはすでに予定より24時間以上も遅れてラサ入りしているのである。休む間もなく観光が待っている。
 さっそくバスに乗り、巡礼者のメッカであるというジョカン寺に向かう。ジョカン寺は、ラサ最大のマーケットである「八角街」と呼ばれる広場の中心に建っている。石造りの寺の上に金箔を塗った中国式の屋根がそびえ、あちらこちらの窓にある布幕が風にあおられてバタバタと音をたてている。マーケットにタルチョという5色の旗がたくさん売られていた。布の色にはそれぞれ地水火風空の自然の恵みを表わす意味があるとガイドが説明してくれた。
prayers 寺の前のマーケット通りを、手に持ったマニ車を回しながらたくさんの巡礼者がブツブツと念仏を唱えながら歩いている。ジョカン寺の入り口の埃っぽい地面に体を投げ出して五体投地をくり返す人々。広場はまるで祭りのような賑いだ。「彼らはただひたすら幸せに生き、来世も人間に生まれることを願って集まってくるのです。」とガイドが言う。
 カラフルな仏具やエキゾチックな民芸品をいっぱいに並べた露店の数々。金箔の屋根と、色とりどりの旗をたなびかせたジョカン寺の白い壁。その中で埃の匂いがするような土色の服をまとった質素な巡礼者達がチベットらしい独特な雰囲気を作り上げる。
「マニ車の中には経文を書いた紙が入っており、一回まわすと一度お経を唱えたのと同じご利益があるのです。これを唱えたり、経文を見たり観音菩薩の呪文を聞いたりすることによってすべての罪が消え去るのです。」

 雲が近くに感じられ、太陽が出たり隠れたりするにつれて、首筋が焼けるように暑かったり、肌寒かったりする。寺の境内に入ったとたんまわりは薄暗く、ヤクバターを溶かしながら燃える何百という数のロウソクの甘く、ねっとりとした空気が漂っている。
 境内の中央にはボロのような服をまとった無数の人々がひしめき合っている。その人ごみの中から真っ黒に汚れた物乞い達が近寄って来て手を差し伸べる。柱に寄りかかって、人々が僧侶達にお清めをしてもらおうとごった返している光景を眺める。ふと、となりの赤ん坊をおんぶした女と目が合う。薄汚れた顔をした彼女は、背中の赤ん坊を指さしてお金をくれと身振りで頼む。
 彼女の顔、目がいかにも哀れで、物陰に隠れて5元札を出して炭の様な色の赤ん坊の手に握らせる。食うや食わずで遠路巡礼の旅を続けてきたみすぼらしいなりの人達も念仏を唱えながら寺内を歩き回っている。
 暗い寺院の中のボーっとしたロウソクの明りの中で金色に輝く数々の仏像が穏やかな顔で座っている。そのどの目もブルーなのには驚いた。
 あちらこちらの皿の上に巡礼者が積み上げたお札が山のようになっている。まわりが暗いので、手をのばせばひとつかみのお金を素早く握って、容易に立ち去れるはずだ。しかし人々にとってきっとそんな行為は想像もできないことなのだろう。
 お寺への献上物を汚すこと。それをきっと仏様は見ていらっしゃる。そんな行為はまちがいなく人を地獄の底へ叩き落とし、二度とこの世に人間として生まれないと固く信じているに違いない。

 うす暗い光りの中でボーっと黄金に光る青い目の仏像の前で思わず手を合わせて合掌する。目を開けると、となりにロスが立っていた。
「もう1000年以上もここでこうして同じ仏像があるなんて、信じられない。ここに座ってチベットの歴史をどう思ってみていたんだろう?」
と彼はポツリと言った。ロウソクの光りに照らされた彼の目は、まるで心の中で佛に向かって合掌しているように潤んでいた。
「どう?ラサに来た感想は?」
「今、『チベット仏教』について論文を書いているんだ。ラサにはぜひ来たいと思っていたんだ。この仏像ひとつ見ても僕にとってはすごいインスピレーションだよ。」
 小声ではあるが、彼の感じているだろう興奮が伝わってくる。
「宗教を勉強してるの?」
「哲学科の学生さ。もうすぐ修士号が終わるんだ。」
「インタレスティング!私はこれがグループツァーなのがちょっと不満だわ。仏像もいいけど、時間があればラサ中くまなく一人で歩いてみたいと思わない?」
「Exactly ! 同感だよ。でも僕はチャンスを見つけてはそうするつもりなんだ。フランクに迷惑をかけるのは覚悟の上さ。とやかく言われたら貧乏学生がせっかくここまで来たんだから大目に見てくれよとでも言うつもりなんだ。君が成都中をたった一人で歩き回った話なんて本当にエキサイティングだったよ。」
「でも、あの日は本当に不安だったのよ。」 
言い終わらないうちに彼はその場から消えていた。

 低い階段を登って屋根の上に移ったあたりから、頭、額、肩がガンガンと痛みだした。まるでハンマーで叩かれているようで目が開けられない。ヤクバターのロウソクの匂いが体にまとわりつき、激しい吐き気が襲う。少し歩くと足がもたれ、息がつまり、倒れてしまいそうだ。
 呼吸困難に苦しみながら広場のマーケットに出て、ジャネットの小さい肩につかまりながら彼女の買い物のおつきあいをするが、私は買い物どころではない。ガイドにたのんでタクシーを呼んでもらい、フランクに付き添われながらホテルへ一足先に帰ることにした。私だけがこんな目に合っているのかと思うといかにも情けなかった。
 それからがまさに地獄だった。フロントの人が酸素のはいった大きな袋を持ってきてくれるが、ベッドから少しでも動くと、猛烈な吐き気が襲ってくる。頭から肩にかけて硬直してしまったように激しい痛みが続き、その夜は食事もせずに一晩中吐き続けた。わかっているのは、これがあの「高山病」というやつで、こうなったら平地に行く以外どうにもならないということだけだった。
 翌日、朝食後、少しづつ快復した。高山病で苦しんだ仲間達がけっこういて、寝込まなかった人達も皆ひどい頭痛を経験したとわかった。平気だったのはロッキー山麓の高山の地であるコロラド州、デンバーから来たロスとエリックだけだった。

 バスの窓から見るラサの町は思っていたよりずっと大きかった。建物のずっと後ろの方に見えるグレイの切り立った山々や、澄んだ空気のためにすべてのカラーが濃く見えることを除けば、まわりの景色は中国のように見える。看板も漢字で書いてある。
 しかし、道行く人々は明らかに成都で見た人種とは違う。特に女性の腰のあたりまで長く、三つ網に編んだ毛糸のように見える黒髪には驚いてしまう。その真っ黒な三つ編みにブルーのトルコ石をたくさん編みこんでいる。肌は浅黒く、頬だけが紅を丸く塗ったように赤い。服装を見ても男も女もいかにも山岳地帯らしい、アンデスのようにも見える衣服を着ている。

 バスが市の中心であるマーケットらしい広場を通りすぎたあたりから、マルポリの丘に面して天までそびえるポタラ宮が少しづつ視界に入ってきた。バスが近づくにつれ、まるで東洋のピラミッドに近づくように巨大に変化していくポタラ宮は、想像していたよりも迫力があった。丘の斜面で太陽をいっぱいに浴びながらキラキラと輝いて、あちらこちらで旗のような物が風になびいていた。ああ、今私はラサにいるんだと、体中がじわじわと熱い感動で満たされた。

 本来は300段もある長い階段を登るのだが、ガイドの配慮で、裏側のマルポリの丘をバスで登ってくれた。空気が薄いので、まだラサ二日目の私達がちょっと階段を登っても息が切れるのだ。この日は快晴で外に出るとあまりの空の青さ、日差しの強さに瞳が焼き切れてしまいそうで、サングラスをはずせない。
 白とエンジ色の壁のコントラストが輝く太陽に光るポタラ宮は、まるで極楽浄土のように美しかった。しかし、まず最初に案内された白宮側の中は、懐中電灯がないとよく見えない程、薄暗く、ヤクバターで床がぬるぬるする狭い迷路のような回路には、悪魔のような顔をして額にある目がギョロリとした像や、カっと口を大きく開けた阿修羅のような像が立ち並んでいる。外で見た極楽とは対照的な、地獄を思わせるような印象だ。
 しかし部屋から部屋へと移り歩くにつれ、まるで地獄から少しづつ這い上がって行くように柔らかく、慈悲に満ちた顔の仏像や美しい調度品が増え、遠く灰色の山々が美しい屋上近くから、紅宮側のダライ・ラマの城に移る頃には窓から入り込む光が一層明るくなる。
 主人であるはずのダライ・ラマがいないポタラ宮。各部屋にダライ・ラマのイスが残されてあり、まるで彼の魂があちらこちらに漂っているようだ。
「中国が入ってきて確かに私達の暮らしは便利になりました。でもチベット人の心の支えであったダライ・ラマがいなくなって、私達は心のオアシスを失ってしまいました。」
とガイドが言う。
 部屋数だけでも1000以上あるというこの絢爛豪華なポタラ宮がある限り、チベット人の民族としてのプライドはなくならないだろう。しかし今のポタラ宮はまるで観光客のための博物館のようでもある。ダライ・ラマ時代のポタラ宮は、いったいどんな輝きを見せていたのだろう?
 中国支配の渦中の中、亡命を余儀なくされたダライ・ラマは、二度と足を踏みいれることのないかもしれないこの巨大な宮殿にどんな思いを抱いているのだろう?

 いかにも教養の高そうなガイドが強いアクセントの英語で説明する。
「チベット人は死後の世界で暮らすよりも来世に再び生まれ変わることを強く信じて生きています。チベット人にとって、『あの世』とは決して安住する世界ではなく、今世と来世の間の休み場所に他なりません。菩薩であろうが、高層であろうが、この世のすべての人々が救われるまでは、限りなく輪廻を繰り返して、何度でもこの世に戻って来ます。その代表とされるのが、観音菩薩の化身と言われるダライ・ラマです。ダライ・ラマは、チベット仏教の輪廻の思想に基づいて選ばれます。ダライ・ラマの死後、49日目にその生まれ変わりが受胎されるのです。その子が5歳になった時、たくさんの子供達の中から、ダライ・ラマの予言や身体的な特徴に一致する子が選ばれます。そしてラサで、政治と宗教の最高権力者であるダライ・ラマになるべく徹底した教育が行われます。中国からの弾圧のため、インドに亡命したダライ・ラマ14世は、今度は中国の目の届かない所に転生すると言っています。」

 大きな岩がゴロゴロとある巨大な山を背景にして黄金の屋根が真っ青な空にそびえるセラ寺院で、修行僧達の問答の修行を見る。木々の多い落ち着いた境内の中の一角に近づくと、静かな寺に修行僧達の賑やかなざわめきと、バチーン!と手を打つ音が聞こえてくる。
 問答場は、木陰で行われる。赤い衣をまとった無数の若い修行僧達が、手を打ち鳴らしたり怒鳴り声を上げたりして、場内はすごい熱気だ。立っている先輩が座っている後輩に問題を出す。そのたびにバシーン!と手を打ち鳴らすのだ。
「Pay attention.  心してよく聞けという意味です。」
 ガイドの声が聞こえないほどの熱気な中で、答える後輩達は真剣勝負だ。一問ごとにむずかしくなる質問に答えられなければ進級できない。
「博士になるまで、一年に一回の試験を受けて20年かかります。」
 若者の修行僧達のエネルギーが、狭い構内に充満して溢れそうだった。全身を使って仏の前に身を投げ出す五体投地を見た時も、その迫力に心を打たれた私は、ここでもまた、全身全霊で、若いエネルギーを果てることがない問答にぶつける狂気にも似た凄さを感じた。
 セラ寺院の境内では、4人の僧達が、色とりどりの砂で曼陀羅を描いていた。これは、チベット仏教特有の行事のひとつで、完成するまでに何日もかかり、1ヵ月を要する物もあるという。完成しても砂で描いた曼陀羅は数日ぐらいしか原形をとどめていることができない。
 カラフルに色をつけた砂を少しずつ曼陀羅の中に入れていく僧達の真剣な横顔にも、五体投地や問答で見たのと同じ、とてつもないエネルギーを感じた。
 信仰に生きるとはどんなことなのだろうか。ヒマラヤの屋根であるエベレスト山の頂上を征服した人のように、彼らは信仰によって生きている証を実感するのだろうか。そしてその彼らのすさまじい信仰へのエネルギーが、別世界から来た信仰を持たない人の心さえも打つのだろうか。

 フランクの計らいで、タシ・ツェリングというチベット人作家の家を数人で訪れた。ツェリング氏はジョカン寺前の八角街にある建物の一角で慎ましやかに妻と一緒に暮らしていた。彼は自伝である The Struggle of Modern Tibet (近代チベットの苦闘)という本でアメリカではかなり名が知られているらしい。数奇な運命をたどってきた人で、チベットにとって中国の支配は益になると主張し、チベット政府によって投獄された経験を持つ。
 彼の本の表紙には投獄された時、受刑者として映された悲痛な顔のセピア色の写真が使われていた。若かった頃の写真の痩せ細った顔とは別人のような丸顔でニコニコと微笑んでいるツェリング氏は、上がり込んできた私達のために妻に命じてハト麦ワインとバター茶をごちそうしてくれた。家中がこのハト麦ワインが発酵するすっぱい香りで充満していた。ワインもバター茶もどうしても口に合わなかった。バター茶はいかにも動物臭かった。ぜひ味わってみたいと期待していただけにがっかりした。

 突然、しばらく頬づえをついて床に座っていた私達のガイドが大きな声を上げて言った。
「ミスター・ツェリング!あなたをテレビで見たことがありますよ。さっきから考えていたんです。やっと思い出しました!その時あなたの首に花のレイをかけたのが私の娘なんです!覚えています?」
 ツェリング氏とガイドは一言だけ英語で「What a small world!(なんて世界は狭いんだろう!)」と叫ぶと興奮したようにチベット語で話しだした。執筆活動をする他にチベット絨毯を輸出しているビジネスマンでもあるツェリング氏は、それから次々と絨毯を見せにかかった。私は目の前に積んであった彼の自伝をピラピラと開いてみた。偶然開いたページに、彼が10歳の時、駅で両親と涙ながらに別れているつらい場面が書かれてあり、胸が締め付けられた。目の前で得意そうに絨毯を披露している初老の男と、本の中の哀れな10歳の少年との間にいったいどんなつながりがあるのか興味をそそられた。

章を閉じる