さすらい人幻想曲
第7章:カトマンズ Kathmandu
カトマンズは、やはり高地にあるので、気温は高いがヒマラヤから運ばれてくる涼しい風が常に吹きぬけて心地よかった。「インドは暑くて大変だよ・・・」と驚かされる。
カトマンズのホテルには昼過ぎに着いた。ラサからの飛行機に乗ったあたりから喉の痛みと体のほてりに気がついていた私はさっそく荷物から体温計を出して計ってみた。38度近い熱だった。高山病で抗体が落ちていたのだろうか?ほんの数日前に高山病を経験したばかりだったので、自分の腑甲斐なさにがっかりした。
「カトマンズに3日は居る予定だから旅行中熱を出すならここしかないわよ。ゆっくり寝ているといいわ。」
とルームメイトのアンが慰めの言葉をくれる。一度床に伏してしまったらもっと悪くなるかもしれないと判断した私は無理をして、その日の町の観光に加わった。
ネパールの町には、それぞれ「ダーバー広場」と呼ぶ聖なる広場がある。まわりには古い木造の質素な土色の寺院が建ち並び、そこだけ時間がゆっくりと流れているような空間だ。
カトマンズのダーバー広場に「クマリの館」という建物がある。Living
Goddess「処女神」の住む館である。3歳になった格式の高い家系に生まれた少女達だけがクマリになる資格がある。しかしクマリになるには過酷な試験を通過できた少女だけだ。その中にはとても惨い試験もある。少女に恐怖心がないことを試すために、動物の死体でいっぱいの部屋に閉じ込める。動物の死体に動じない子供、、、どんな子供なのだろう?
そんな過酷な試験を経て、一人の処女神が選出される。家族を離れて「クマリの館」に住み、祭り以外は外界に出ることがない。ましてや自分の親に会うこともない。たとえ外界に出ても、自分の足で土を踏むことは許されないのだ。
日頃の外界との接触は観光客がお金を払った時だけである。それも団体だけに限られる。ガイドがクマリの名を大声で呼ぶと館の2階の窓のひとつから、その不幸な顔を覗かせる。顔中エキゾチックなメイクがしてあるその目は、しかし子供とは思えないほど暗く沈んでいる。彼女はにこりともしない。1分もたたないうちにその顔は消える。
祭りの日には国王さえも足元にかしづかせるこの処女神は、しかし初潮を見ると共に、神ではなくなってしまう。館から出なければならないのである。
クマリの家族は崇められ、その後の生活は保証されるものの、もとクマリと結婚すると早死にするという言い伝えから求婚する男もいない。
宗教やしきたりという名のもとになぜこんなことが許されるのだろう?可愛い我が子をどこの親がクマリとして提供できるのだろう?たとえそれが贅沢や名誉と引き替えだとしても、、。カトマンズに居る間、そればかりを考えていた。
高い窓に一瞬だけ見えたあの不幸な目がいつまでも頭に焼き付いて、眼に映るカトマンズの土色の壁を一層空しいものにした。
「クマリの館」のそばに、まわりの建物に似合わない毒々しい色の神が祭ってあった。真っ黒い体でカっと目を見開き踊るようなポーズのその神に色とりどりのサリーを着た女達が捧げ物を持って群がっている。その光景をボンヤリと見ていると突然1羽のヒヨコのように小さな鳥を持った女が、壁にあるその神に近づき、勢いよく手を降り降ろした。「ビシャッ」という異様な音と共に神の黒光りした体の表面を真っ赤な血がしたたり落ちた。見なくてもいいものを見てしまったと思った。とたんに冷や汗が出てきて、言いようのない吐き気が襲ってきた。
神の砦内に羊が4頭、短い鎖につながれ、うなだれている。選ばれて連れてこられた「聖なる羊」である。エサもたっぷり与えられ、殺されない代りに、ここにこうして死ぬまで鎖に繋がれたままなのだ。こんな光景を日々見ながら通りすぎる人々は、一度も矛盾を感じないのだろうか?
カトマンズの一日目、突然襲った熱のせいもあって私の心は沈んでいった。ホテルへ戻った後、食事にも行かずにぐったりとベッドに倒れ、ひたすら眠った。
翌朝、相変わらず熱はあったが十分睡眠をとったのでつらくはなかった。バスに乗り、パタンとバグダオンというカトマンズ周辺の村を訪れた。自転車でも行ける距離だと言うが、カトマンズ市内の交通はこれまで以上にひどい。まるで地獄のようだ。あちらこちらに警察は立っているのだが、まったく役に立っていない。それでもドクター・ボンナムは「インドの方がもっとひどいよ。」と言った。私には想像もつかなかった。中国から気になっていたのだが、信号が滅多にない代りにどの車もけたたましく警笛を鳴らしながら走る。道路にはセンターラインというものがないので、車、リクシャー、自転車、バイクなどが右からも左からも入り乱れて割り込んでくる。
ディーゼルカーの吐き出す排気ガスのすさまじさに、思わず口にハンカチをあてる。その上に、バスを降りるたびにハエのように群がってくる物売りや物乞い達。もう慣れたつもりだったが、気分がすぐれないのでほとほと嫌気がさした。
パタンの「ダーバー広場」もなつかしい土の香りがするような雰囲気に包まれていた。カトマンズにあったような毒々しい神の姿はなく、日本の寺を思い起こすようなエレガントな観音像の数々が、土色の寺院の中庭に金色の流れるようなシルエットを見せていた。古いレンガの建物にある木細工の窓脇が見事である。ツタが這う壁と壁に挟まれた小さな茶店に座り、コカ・コーラを飲む。
バグダオンは、とても静かだった。ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画、「リトルブッダ」のロケにも使われたというこの町は、ひっそりとして、まるで中世の世界に迷い込んだようだった。並んでいる店も美しい仏画店が多く、興味深い。この村に2〜3日滞在して月夜の晩の寺院の庭でひとり瞑想して居たい欲求にかられた。
バグダオンに着いた時、12歳の男の子が実に達者な英語で話しかけてきた。村の絵描きの子供で自分も絵を書いているが本当は医者になりたいと言っていた。
木造のパゴダの前で彼と一緒に写真を取った。彼は小さな紙に住所を書いてくれた。私は「本を買ってね。」と言って少しばかりのおこづかいをあげた。もしかしたら、観光客にこうやって話しかけては、こづかい稼ぎをしているのかもしれない。
そのために英語やフランス語やスペイン語をマスターしたのかもしれない。でも、彼の黒く輝く目を見ると、それだけがすべてだとも思えない。もしかしたら、一生この村から出ることがないかもしれないこの貧しい少年は、世界から来る人達に限りない興味があるのだろう。自分も、いつかは裕福な医者になって世界を見たいという、とてつもない夢を抱いているのかもしれない。
バグダオンに、ゆっくりしていたかったのだが、私の体力は限界に達していた。立っていると、どんどん高くなる熱に足元がフラフラした。ふたたびタクシーを頼んでもらい、少年と別れた。タクシーに乗り込んだとたん、少年が私に向かって叫んだ。
「ペンを下さいませんか?勉強するのにペンがいるんです!」
「日本から送ってあげる!絶対約束するわ!」
と私も叫んだ。土埃りの中で彼はちぎれるほど手を振っていた。
日本にいる何人の子供達が勉強するペンがなくて困っているだろう?1本のペン欲しさに観光客と必死で友達になろうと、外国語を勉強するバグダオンの少年が目に浮かんだ。何故か複雑な気持ちだった。
ホテルについたとたん熱が39度5分に跳ね上がった。とうとうその日は再起不能になり悪寒に震えながら翌日まで眠った。アンが近くの店からフルーツジュースをたくさん買ってきてくれた。次の日、予定していたヒマラヤのハイキングをあきらめた私にフランクが医者を呼ぼうと言った。それと前後してドクター・ボンナムが見舞いに来てくれ、
「もし、ノリコさえその気があるなら、帰ったあとで霊気を試してみてもいい。」と言った。
昔の私の小指の経験から私はドクター・ボンナムを完全に信頼していた。フランクがふたたび部屋に入って来たとき、「霊気」で治してもらうことになったと言って医者を呼ぶのを断わった。彼は大声で、「レイキ?」と叫ぶと、信じられないというような顔で首を傾げながら部屋から出て行った。
その日の朝、ホテル内の会議室であったレクチャーを私のためにアンが録音してくれていた。ボーっとした頭で小さなテープレコーダーのスイッチを押した。34歳の若さで
William College
の宗教学の教授をしているブライアンが、歯切れの良いバリトンの声でネパール仏教とチベット仏教の違いを説明していた。そのあとロスが、ヒンズー教と仏教の肖像について、いかにも学生らしい口調で話していた。興味はあるのだが集中できない。うとうとと、しかけた頃に、彼の声がいっそうマイクに近づいて、ささやくような小声で聞こえてきた。
「ノリコ、早く気分が良くなるように祈っているよ。ロスより。」
思わず私はクスっと笑って寝返った。数分後、スイッチがカチっと切れて暗い部屋の中を沈黙が包んだ。
午後4時頃ドクター・ボンナムがスザンヌと一緒に部屋へ入ってきた。スザンヌは私の額に手をあてて、「まあ、熱い!」と言った。二日もろくに食べないで苦しんでいた私は、にこりともできなかった。 ドクター・ボンナムがこれから行う霊気の説明をした。
「これからスザンヌと二人でノリコの体に霊気を送る。スザンヌは君の足を持つ。僕は手の平を君の額、首、胸、お腹という風にあてていく。その間、決して話しをしないこと。目をつぶって深く呼吸をしていること。自分の呼吸を聞きながら僕の手の平から伝わる熱に心を集中させること。3人の呼吸とエネルギーが一緒になって初めて成功するんだ。うまくいけば、君は数時間で気分が良くなるだけではなく、体から毒素が吐き出されて、とても調子が良くなるハズだよ。それでは体を楽にして、、、。」
私の心臓の鼓動が猛烈に速いのは、熱のせいなのか緊張のためか、わからなくなってきた。本当にこんなことで熱が下がるのだろうか?なるべく素直になるよう自分に言い聞かせた。スザンヌはベッドの下の方へ移ると、静かな声で 「Excuse
me, Noriko」 と言い、毛布の中に両手を入れて私の足首をつかむと、目をつぶって神経を集中させた。私も目を閉じて、できるだけ呼吸に神経を集中し、ドクター・ボンナムの手の平から伝わってくる熱いエネルギーを感じ取ろうとした。
二人の手から送られてくる熱が私の体内で絡み合い、それがやがて光の玉に変わり、ぐるぐると駆け巡って体全体を光りで満たしていくような感覚に身をまかせていた。私の想像の中で、その光はどんどん大きさを増し、ついには部屋全体へと広がって外へ飛び出して行った。
どのくらい時間がたっただろうか? ドクター・ボンナムは、私の体の中から何かを外へ押し出すようなしぐさを3回ほど繰り返した。
「OK, それではディナーで会うのを楽しみにしているよ。それまでゆっくり眠るといい。」
と言うと、二人はニッコリと笑って部屋を出ていった。
次の瞬間、身体が一層汗ばんで猛烈な疲労が襲ってきた。気分はむしろ悪くなったように感じた。さっきまで感じていた信頼感が突然不安に変わってしまった。もしかしたら、何か厄介な病気を背追い込んでしまったのではないだろうか?これからの旅は大丈夫だろうか?やはりフランクの言う通り、医者を呼んでもらったほうがいいのではないだろうか?でもせっかく霊気をやってもらった以上、すぐに医者を呼ぶのは、いかにも彼らに失礼だと思った。疲労感で一杯の身体に戸惑いながらも、私はすぐに深い眠りに落ちていった。
目が覚めると枕元の時計が夜の 7:45
をさしていた。あと15分で食事の時間だ。手探りで灯をつけると、ルームメイトのアンがすでに帰ってきて、シャワーを浴びて着替えて部屋を出て行った形跡があった。私は何も知らずに4時間近くも寝てしまったのだ。
ベッドから這い出ると、心なしか頭が涼しかった。身体中汗にまみれていたので、すぐにシャワーに飛び込んだ。こんなに気持ちの良いシャワーも久しぶりだった。シャワーから出ると、空腹でお腹がグーグーなっているのに気がついた。
体温計を出して熱を計った。36度代の平熱に戻っていた。私は嬉しくて何度も深呼吸をして腕をグルグル回して体操のまねごとをした。
これがあの「霊気」の結果なのか、偶然なのかはわからない。旅先で病気に倒れるという、あのどうしようもない不安からやっと解放されたという興奮の方が先だった。
全体が、いかにも食欲をそそるようなオレンジ色の照明に包まれたホテルのレストランへ行くと、すでに食事をしていたグループが、私を見るとそろって歓声をあげた。ろうそくの火のむこう側でロスが戯けて言った。
「今夜の旅日記に付け加える文句が決まったよ。病魔と戦い、ついに復活したノリコの華麗なる登場で会場は大騒ぎになった!」
「ドクターボンナムとスザンヌのお陰よ。それからロス、ステキなメッセージをありがとう。」
彼は急に照れたような顔で、「Ah... You are welcome !」と早口で言うと、手に持っていた冷たそうなグラスのビールをゴクゴクと飲んだ。
後ろで「マダム、」というおもむろな声がした。ウエイターが目の前の器の中に、実に丁寧な手つきでスープを入れてくれた。カルダモンのようなスパイスの香りが漂った。ネパール風の味付けの熱いベジタブルスープが、からっぽの胃の中に染み渡った。
食事のあと、礼を言った私にドクター・ボンナムが言った。
「ノリコ、わからないかい? 君の熱を下げてくれたのは君自身なんだよ。君の中に生まれた時から備わった治癒能力と呼ぶものさ。だから僕でもスザンヌでもない。僕らが心をこめて送ったエネルギーを素直に受けとめようとする君の中のとてつもないエネルギーがそうしたんだ。お互いの波動が共鳴しあっただけなんだ。だから誰でも治ってしまうとは限らない。今でも半信半疑でいるのはよくわかるよ。でもノリコ、これから自分の内部にもっと耳を傾けて、天が与えてくれた自分の能力を信じなければ、、。」
私は聖書の中に出てくるイエス・キリストの奇跡を思っていた。聖書には、盲人やレプラ患者がキリストの身体や服にさわると、またたく間に病が癒されたとある。これをドクター・ボンナムの論理で考えると、奇跡をおこしたのはキリストではなく、病に苦しむ人達にそなわった治癒力だということになる。「信仰」とはそういう物なのだろうか?それが本当だとしたら信じる相手がキリストであろうが、釈迦であろうが、どこかの無名の人であろうが、信じる気持ちがあれば関係なくなるという論理も成り立つ。となりのおじさんが「君の病は癒された」と言っても通用するということになってしまう。人間の内部に、とてつもない可能性があるとして、人間の中にこそ神が住むという論理が成り立つとすれば、何故人間は宗教が必要なのかという疑問も出てくる。
カトマンズのホテル・アナプルナのロビーの真ん中に金箔が眩しい神殿のようなものがある。最初はこれが単なる飾りだと思っていた。朝早く起きて、フロントへ洗濯物を出しに行った時、ホテルの従業員達がその神殿の周りを念仏のようなものを唱えながらゆっくりと歩いていた。当然その間フロントには誰もいない。ロビーが急に寺院の内部になってしまったように従業員達の祈りがそこらじゅうにこだました。この、朝の宗教的行事が、彼らのこれからの一日の運不運を決める重要な意味を持つのだろう。
それぞれが信仰する神の教えを生きる指針として、日々セレモニーを行い、神の教えを学び、祈りを通して自分自身の神性を高めていく。それが宗教なのかもしれない。
翌朝数人でバスに乗り、ネパールの小さな村を訪れた。バスから降りて、なんとも貧しい村の雨季の為ぬかるんだ道を泥に足を取られながら歩いた。
水たまりや牛の糞をよけながら歩く私達のあとをボロのような服を着た子供達が裸足でピョンピョンと跳ね回りながら珍しそうに着いてくる。泥水でいっぱいの大きな沼の中に黒光りする水牛が何頭か、体を水中にもぐらせてのんびりとあくびをしている。
小さな村の細い道を白人の観光客が、物珍しそうに壊れかかったレンガの建物にカメラを向けながら練り歩く光景は、いささか場違いにも見える。
そんな貧しい村の真ん中に掘建て小屋のような学校があった。ユニセフなどの機関がスポンサーをしているのだろうか?中から日本の「九九」のようなリズムで子供達の元気な声が聞こえてきた。窓もないので中は丸見えだった。休み時間らしいクラスを覗くと水色のおそろいのシャツに赤いネクタイを着た男の子達が一斉に笑顔で手を振った。ビデオのファインダーから見るこの子達の浅黒い笑い顔は、キラキラと希望に燃えているように見えた。ビデオを回している私の脳裏を「クマリの館」に住む幼い処女神の、二つの沈んだ眼がよぎった。
その日の午後はカトマンズ最後の日なので、疲れた足に鞭打ってダーバー広場の周辺に並ぶマーケットへ買い物に出かけた。買い物と言っても広場一杯に店を広げたマーケットの物売り達が次々と群がって来るのとの戦いである。
値段の交渉がとてもむずかしいので、欲しい物があっても興味を示したら負けだ。ほとんどの場合高く払いすぎたような気がする。みごとな品物が多いのだが、ひとつ交渉を終えるたびに神経が疲れる。物売り達は、ネックレスや小物などを手にどこまでもしつこくついてまわる。その間、無表情でいなければならない。少しでもニコっとしたり、品物を3秒以上見てしまうと興味があると見なされ、むこうもそう簡単にはあきらめない。右からも左からも「マダム!マダム!」と叫びながら物売り達は集って来る。
目の前に次々にかざされる品々をふり払いながら周辺をひととおり回った後、狭い通りにあった仏画店で手書きのエキゾチックな仏画を3枚買った。シャカの人生、マンダラなどが実に細かくカラフルに描かれている。
アンと一緒にパンジャビスーツというネパール、インドの民族服を買った。女性達がエレガントに着こなしている、とても着やすい服だ。土色の道に花が咲いたような色とりどりのパンジャビスーツやサリーを着た女性達をつい振りかえって見てしまう。擦れ違う時の風圧で、パンジャビスーツから首に巻いた長く柔らかいスカーフがジャスミンのような香りと共にフワフワと舞う。無数のブレスレットとアンクレットのシャンシャンと鈴のような軽い音が私の耳をくすぐる。
リクシャー、タクシー、通行人でごったがえしている夕暮れの狭い道を必死で通り抜ける。線香の匂い、埃、熱気、騒音が入り交じってまとわりついてくる。
その夜は買ったばかりの白いパンジャビスーツを着てホテルのネパール料理を楽しんだ。自分の健康体に思わず感謝してしまう。
ホテル・アナプルナの夜はとてもロマンチックだった。青白く光る水を湛えた中庭のプールサイドで、ひんやりとしたネパールの夜の匂いを嗅ぎ、極楽鳥の花に囲まれながら、アメリカから来た旅の仲間達とたわいのない話に花を咲かせる。
数日前に会ったばかりなのに、彼らとはもうずっと運命を共にしてきたような気がする。夜空を見上げて月の光を眺めていると、彼らとの最後の日を思ってついセンチメンタルになってしまう。
穏やかなネパールの夜。中庭に響く私達の笑い声。そして
BGM
は、あたり一面から聞こえる虫の声だ。その時、私は20年の歳月をさかのぼり間違いなく学生に戻っていた。私にとってアメリカの若者達は大学時代の思い出そのものなのである。
ベンチのとなりに座っていたロスが私の白いパンジャビスーツから長く垂れた紅色のスカーフの先を手にとって柔らかい綿の手触りを楽しんでいた。発熱に苦しみながら暗い部屋の中で聞いた彼の短いメッセージが心に響いて以来、私は彼と話すたびに少なからず頬が火照るのを感じていた。
「この色、よく似合うよ。東洋の女性達は本当にエレガントだ。」
「本当に、ここの女性達を見ていると目の保養になるわね。日本にもこんなに着やすい民族服があったら良かったわ。キモノなんて本当に着るのがむずかしくて、あまりに高価で、おまけにこんな太いベルトが胸を締め付けてぜんぜん合理性がないの。だから特別な時以外は誰も着ないのよ。私ももう何年も着ていないわ。」
「僕はヨコハマで生まれたんだ。5歳までそこで育った。もちろんうっすらとしか記憶もないし、日本語だって思い出せないけど、メイド・イン・ジャパンなことは確かなんだ。」
思いがけないロスと日本との縁に突然彼が私の同士になったような嬉しさを感じた。若さだけが取り柄の学生達の中で、私には彼だけが違って見えた。彼は独りでエベレストにでも挑んだほうがいいような風貌と行動力を持っていた。実際、グループで行動している時、彼は時々不機嫌さを隠せないような顔をしていた。空港のゲートやバスの中では耳にウォークマンをかけて独りで目をつぶっていた。
ホテル・アナプルナのプールサイドで、清潔そうな白い上着を着たボーイが持ってきてくれたカクテルを手に、私はロスの様々な人生経験について知ることができた。
言葉よりも頭の中のイメージの方が先に来てしまうので、時々もどかしそうな早口で、私には想像もつかない世界である登山やロッククライミングやメキシコの話をするロスの目は人生への情熱でみなぎっていた。
そのエネルギーが、となりで聞いている私の心の奥まで伝わり熱いもので満たした。時折、無鉄砲さ迄をも感じる彼のライフストーリーは、生きることの楽しさ、人間が持つ無限の可能性を私に伝えてくれた。私は彼のストーリーをそこに座って一晩中でも聞いていたかった。