カーペンターズ
カーペンターズ/スーパースター
リチャードとカレンの兄妹デュオがカーペンターズとしてデビューしたのは69年、あのビールズの「涙の乗車券」のカヴァーであった。(全米54位)
続くセカンド・シングルの「遙かなる影」がナンバー1となり、さらに「愛のプレリュード」も全米2位、70年のグラミー賞最優秀新人賞を手にした。当時リチャードは24才、カレン20才。
彼らの美しいサウンドは日本でもすぐに注目された。
70年代の彼らの全米ヒット曲が25曲、日本では22曲と、ほぼ同数である。
ちなみに、総シングル・セールス243万枚は、ビージーズを抑えてアーチスト別洋楽ランキングで堂々の第1位である。
日本での最高のヒットは、73年の「イエスタデイ・ワンス・モア」で、オリコン5位ながら何と61週もチャート・インしていた。
この曲「スーパースター」は、オリコン7位で、セールスでは「トップ・オブ・ザ・ワールド」についで第3位の記録である。
73年のアルバム「ナウ・アンド・ゼン」は、オリコン1位に輝くと共に、101週もチャート・インし51.4万枚のセールスを記録している。
74年の来日公演の際には、40万人の応募が殺到するほど、日本での人気は高かった。
そんな彼らの人気も、70年代後半のディスコ・ミュージックをはじめとする、より刺激的なサウンドに押され、徐々に下降していった。
80年9月、カレンは結婚という転機を迎え、同時にひとりの女性としての生き方に悩むようになり、神経性の拒食症を病みはじめる。結婚生活はわずか2年で破局となり、そして1983年2月14日の悲しい日を迎える。
世界中の誰からも愛されたカーペンターズ。彼らの美しいメロディーとハーモニーは、いつまでも私たちの心の中で清らかにかがやき続けることであろう。