なつかしの70年代ポップス

NO.14◆◆71年8月◆◆  

HBC「ベストテン北海道」とSTVのランク、全国ポップスホット10のランクを掲載しました
北海道のレコード売り上げランキングもあります
この頃から全国ベースのヒットチャート番組も聞くようになりました
ちょうど、キャロル・キングの「イッツ・トゥ・レイト」がラジオで流れるようになり、すっかり気に入っていた時だったので全国ポップスホット10で上位にランクされているのに感激しました
アーティスト紹介はビージーズ、ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ、キャロル・キングです
1971年HITS 8月
HBC ベストテン北海道
8/29 8/22 8/15 8/8 8/1 曲 名 アーティスト
1 3 6 5 7 メロディ・フェア ビージーズ
2 1 2 3 3 嘆きのインディアン マーク・リンゼイとレイダース
3 2 1 1 1 サマー・クリエーション ジョーン・シェパード
4 6 10 - - 涙のハプニング エジソン・ライトハウス
5 5 8 - - 恋のかけひき ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ
6 9 - - - スイート・ヒッチ・ハイカー CCR
7 - 5 6 6 パペット・マン トム・ジョーンズ
8 7 9 - - バタフライ ダニエル・ビダル
9 4 3 2 2 さすらいのギター ベンチャーズ
10 - - - - 愛のマジック・ガーデン マイク・カーブ・コングリゲーション
8 4 4 4 サインはピース オーシャン
10 - - - 雨のフィーリング フォーチュンズ
7 7 8 ロウ・ダウン シカゴ
8 - ショッキング・ユー ショッキング・ブルー
9 10 フレンズ エルトン・ジョン
10 5 泉の詩/ラ・フォンテーヌ クリスチャン・ゴーベール楽団
9 想いでのマリッツァ シルビー・バルタン
STV洋楽ランキング
8/29 8/22 8/15 8/8 8/1 曲 名 アーティスト
1 3 4 4 6 メロディ・フェア ビージーズ
2 1 2 1 2 さすらいのギター ベンチャーズ
3 4 3 3 3 嘆きのインディアン マーク・リンゼイとレイダース
4 6 - - - 恋のかけひき ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ
5 5 9 - - 涙のハプニング エジソン・ライトハウス
6 2 1 2 1 サマー・クリエーション ジョーン・シェパード
7 10 - - - バタフライ ダニエル・ビダル
8 9 10 - - スイート・ヒッチ・ハイカー CCR
9 - - - - 雨のフィーリング フォーチュンズ
10 7 5 5 5 サインはピース オーシャン
8 8 8 - パペット・マン トム・ジョーンズ
6 6 4 ショッキング・ユー ショッキング・ユー
7 9 8 ロウ・ダウン シカゴ
7 10 幸せは夢でなく ヘドバとダビデ
10 - 喜びの世界 スリードック・ナイト
7 アナザー・デイ ポール・マッカートニー
9 恋のジプシー ナーダ

道内レコード店売り上げ

オリコン調べ
8/29
8/22
8/15 8/8 8/1 曲 名 アーティスト
1 1 1 1 3 わたしの城下町 小柳ルミ子
2 3 5 4 1 17歳 南 沙織
3 4 3 3 5 さらば恋人 堺 正章
4 2 - 2 4 サマー・クリエーション ジョーン・シェパード
5 5 - - - さよならをもう一度 尾崎紀世彦
2 5 2 さすらいのギター ベンチャーズ
4 - - 嘆きのインディアン マーク・リンゼイとレイダース

全国ポップスホット10  TBS/HBC

1971年8月29日付

1 1 恋のかけひき ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ
2 3 恋はすばやく グラス・ルーツ
3 2 スイート・ヒッチ・ハイカー CCR
4 4 イッツ・トゥ・レイト キャロル・キング
5 6 グッバイ・ミディアマン トム・フォガティ
6 9 悲しき恋心 ショッキング・ブルー
7 5 雨のフィーリング フォーチュンズ
8 10 ライアー スリー・ドック・ナイト
9 11 夢に消えるジュリア ピンクフロイド
10 7 あの娘にくるって ドアーズ
8 嘆きのインディアン マーク・リンゼイとレイダース

ビージーズ/メロディ・フェア
ビージーズが結成されたのは、1958年のこと。イギリスからの移民だった彼らは、62年から67年までオーストラリアで12枚のシングルと2枚のアルバムをリリースして不発に終わった。
ところが彼らが英国に戻った後に「スピックス・アンド・スペックス」が豪州ナンバー1になっている。
英国でのビージーズは6人編成で、敏腕マネージャーのロバート・スティグウッドと共に、「ニューヨーク炭坑の悲劇」「ラヴ・サムバディ」を67年の春から夏にかけて英米でヒットさせ、同年秋には「マサチューセッツ」を全英ナンバー1とした。
この曲は、日本でもオリコン1位となり、ビージーズ人気はデビュー1年目で世界的なものとなった。
しかし、69年に兄弟以外のメンバーの脱退やロビン・ギブのソロへの転向などでグループとしての危機が発生、71年「傷心の日々」のヒット以降彼らは75年まで暗黒時代を迎える。
彼らが世界的に復活するのは、「ジャイヴ・トーキン」(75年)の大ヒットまで待たなければならない。
ただし、日本ではこの時期大ヒットが生まれている。71年公開の青春映画「小さな恋のメロディ」に挿入歌として提供した「メロディ・フェア」で、オリコン3位まで上昇する大ヒットとなったのだ。
オリコンでナンバー1ヒットを持つ洋楽アーティストは、全部で10組(68-87年)だが、さらにTOP3に再びヒットを送り込んだケースは初めてである。
このことからも、ビージーズの人気がいかに凄かったかがおわかりだろう。
日本で再び脚光を浴びるのは、77年からの「愛はきらめきの中に」「ステイン・アライヴ」(78年)「恋のナイトフィーバー」(78年)などなど、ディスコブームでの大ヒットである。
ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ/恋のかけひき
60年代中盤、ビーチ・ボーイズなどの影響で数多くのホット・ロッドログルメープが誕生したが、T・ボーンズもその1つで、66年に「ビートでOK」(全米3位)、「真っ赤な太陽」(同62位)という2曲のCMソングをヒットさせた。
そのポップで楽しい曲は歌こそ入っていなかったが、紛れもなくH、J・F&Rの3人の手によるものだ。
70年代再スタートした3人はダンヒル・レーベルと契約。デニス・ランバート&ブライアン・ポッターの手がけたこの曲(全米4位)は当然のごとく大ヒットした。
豪華なブラスに緻密なドラムス、下手だけどイキのいいハーモニー。本当は失恋の歌なのに、聞いてるうちに不思議と元気が出てしまう。そう、これがダンヒル・サウンドの魔力なのです。
75年にはプレイボーイ・レーベルから今度は自作の「フォーリレン・イン・ラヴ」を見事ナンバー1に送り込んでいる。
キャロル・キング/イッツ・トゥ・レイト(心の炎も消え)
キヤロル・キングは、10代半ばのころは人気歌手になりたいと思っていた。
58年にABCパラマウントからレコード・デビューが実現、同社でシングル2枚、翌年59年にはRCAとアルパインから各々1枚、計4枚発表したが、ヒットは作れなかった。
彼女が他のアーティストのために作品を書き始めたのは59年からだった。
歌手では成功しなかったが、ソングライターとしてボビー・ヴィー、トニー・オーランド、シレルズ、エヴァリー・ブラザーズなどに次々ヒット曲を提供した。
ゴフィン&キングのコンビで60年代に数多くのヒット・ポップスを生み出した彼女だが、日本では70年代のシンガー・ソングライター・ブームの火つけ役としての方が有名なようで、ラジオなどで70年代ソングの特集が組まれると必ずといってよいほど登場するのが、この曲である。(全米1位5週)
ジャージーでマイルドな温もりのあるこの曲を収録したアルバム「つづれおり」はあまりにも有名である。
彼女は過去、作曲家として4度全米1位を記録したが、自分の歌で1位になったのは、この曲が初めてだった。

バックナンバー ポップス黄金時代のバックナンバーはこちら
1997年10月10日作成 1998年3月6日一部修正