主よどこまで…
礼拝説教
今朝の詩篇の表題を見ると『賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子
アブサロムを逃れたとき』とある。親が子どもから逃れるとは大
変な事態だ。サムエル記を読むと、ダビデの息子アブサロムは王
座を狙うためにダビデに対してクーデターを起こしダビデは都落
ちをしたと書かれている。ダビデは一夜のうちに惨めな落人とな
ってしまった、その時に彼が歌ったのが今朝の詩篇なのだ。私達
の人生にも予期せぬ事態が起こる、ダビデの心情に触れ彼がどの
ように歩んだのか学ぼう。
1、主よ…どこまで
彼は一夜にして命狙われる者となった、しかも自分の息子に。そ
んな事を考えると彼の心中は耐え難い苦しみにあったに違いない
彼にとって悩みはどんどん増していくように思ったのだろう。だ
から神様の前に嘆きの全てを歌う。さらに事態は彼を追い込んで
いく、『彼に神の救いなどあるものか』嘆き祈るダビデに対して
共に逃げ延びた人々からも辛辣な言葉が浴びせられたのだ。たっ
た二節の歌の中に私達はダビデの深い悲しみを見ることが出来る
私達も、彼と同じように苦しむような祈りをささげる時がある。
だがしかし、彼の祈りは苦悶で終わったのか?そうではないのだ
2、主よ、それでも
彼は苦悶の祈りの中で、主の御顔に目を向け三つの恵みを知った
のだ。第一に主は盾であり、敵は増え自分は孤独になるかもしれ
ないがどんな中にも盾のごとき御方がおられる事。第二に主は栄
えであるという事だ、彼は都落ちをした、人生の栄光を失ったの
だ。しかし彼は神様が共にいてくださることこそ自分の栄えであ
ると。第三に主は私の頭を上げてくださる。悲しみ祈っていた自
分が何時しか顔を主に向けていることに彼は気づいたのだ。私達
も同じ主なる神を信じている者だ。主はあなたの盾、栄え、顔を
上げてくださる御方だ。
3、主よ、立ち上がってください
ダビデは主に全てを委ねて平安の中に眠りにつくことができた。
そして新しい朝が始まった。昨日までの意気消沈したダビデはそ
こにはいなかった。勇気を与えられ、雄々しく困難に立ち向かっ
ていくダビデとなったのだ。すべての問題を主に委ね、主が事を
なしてくださると信じた時に彼は変えられたのだ。私達も人生の
中に突然のできことが起こる、その時は確かに嘆きの祈りとなる
だろう、しかしその祈りの中で主の力強い御手に気付き、新たな
一歩を踏み出す力が与えられる。