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May 2003
<5月分日記 11-20>
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11日
地図はよく見て使いましょう


某大学定期演奏会を聞きに行くために、新宿に行った。
東口から出て、そのまま大久保方面に行くつもりであった。
駅から徒歩10分あまりで着く予定である。
駅地下から地上に上がってすぐ、駅前を通り抜ける。
暫く歩いて略地図を見て目印となる筈の建物達が見あたらないことに気が付く。
(単にまだそこまで行っていないだけなのかも知れない)
そう思って疑問を抱きつつも先に進む。
バス停に書かれている経路と停留所を見て、漸く確実な判断が出来た。
現在全く逆方向に爆進中だ。
とっさに時計を見る。
ここから駅に戻って、更に10分ほど歩くとなると・・・・間に合わないこと確実だ。
結局会場には15分ほど遅れて着き、一曲目の終わった所であったため切りよく中に入ることが出来た。

これだから都会のでかい駅は嫌いなんじゃぁ。


12日
FF7クリア

今朝方、クリアいたしました。
セーブポイントでそのまま切りよく止めておけば良かったのだが、そこが「最終」になるセーブポイントだとは気が付かなかったので、さっくりと進めてしまったのである。
FF8をクリア済みだったため、ボスのあまりの弱さにこちらが動揺してしまった。
綺麗だなぁ、とムービー見ながら、横目でちらちら時間を確認。
ええ、出かけるための支度の時間と被ってたんですよ、ほぼ。
何やってんの、というつっこみはナシですぜ。
結局は最後まで見てしっかり間に合いました。
だけどなんつーか、やっぱり気が急いていると感動も半減するねぇ。


13日
地震

真夜中に2度ほど、地震が来た。
横揺れであったが、震度3ぐらいであった。
近頃無かったので、妙に新鮮であった。


14日
初給料

給料日は15日だが、既に明細が届いていた。
まぁ、こればっかりは派遣会社自体から送付されるものだから、到着日はずれるやね。
まめまめしく働いた結果がこの賃金かぁ、と思ったらなんか複雑だったりする。
社会保険もかけなきゃなぁ(まだかけてない)。
こっから食費なんかも引いていくんだよなぁ。
見ているうちにだんだんと憂鬱になってきた。


15日
久しぶりに

常に弁当持参の俺だが、
「同じ部内の隣の課の庶務(×2)に新しい子が入ったので、15日に秋葉さんも一緒に食事に行きませんか」
と誘われたのが先日のこと。
雨降りであったが、気分は良かった。
何せ庶務は若いねーさん方ばかり。
気分的に若返りましたよ、はい。
計8人だったのだが、半数が俺のような臨時職員であった。
ただ、形態として「派遣社員」であるのは俺だけのようで、他の人は会社自体が雇用主である「バイト」らしい。
短期と長期があるらしいのだが、1ヶ月って、フリーターがなる職にしては短いよなぁ。
「(一ヶ月だから)そろそろ切れるので、また次の探さなくちゃ」
そう言って苦笑していた彼女の顔が忘れられない。


16日
公報もときには面白い

最近気が付いたのだが、学生時代と違い、身の回りに起こった出来事で気軽に書ける事が少なくなったように思う。
流石にHP上には職内容のこと、書けないもんなぁ。

話はうって変わって。
皆様は今年が「日ASEAN交流年」であるということをご存じであろうか。
かくいう俺自体も、つい最近まで知らなかったのだが。
昨年はワールドカップがあり、また日本からは藤原紀香氏、韓国からはキム・ユンジン氏が親善大使になっていたことで「日韓交流年」であったことが広く知られていたことと思う。
昨年の親善大使は上記両名であったのだが、それでは今年は誰なのであろう、とここからが本題である。

日ASEAN交流年の親善大使は昨日発表された。
Yahoo!Japanのトピックス欄にも4時間ばかり載ったらしい。
おかげで外務省HPは一時期サーバーが落ちたようだ。
そのような自体は、一昨年(2001年)の9.11事件以来の出来事だそうだ。

何故にこの様な騒ぎになったのか。
今年の親善大使は2003年生まれの21歳の女性。
そう、CGだったのである。
静止画のみならず、動画も用意されている。
ただ、名前はまだなく、外務省HP上で募集している最中である。

CGによる親善大使。
無論初の試みである。
初めての事というものはすべからく、避難中傷に遭い易いもの。
当然、2chねるあたりも騒がしくなっているらしい(笑)。

何故か職場内でこんな話が出ていたのだが、「2chねる」を知る人と知らない人での反応が全く違ったりして、なかなか楽しめる話題であった。

補足:
昨年2002年は「日本・韓国国民交流年」。
それと同様に、今年2003年は「日本・ASEAN国民交流年」。
で、昨年は藤原・キム両氏が親善大使となってました。
今年は(恐らく2カ国間のみではないからだと思うが)親善大使(=意味的には交流年であることを広めるためのマスコットガールと考えたほうが良い)にCGの彼女を選出した運びである。
今年の親善大使は一人です(日本からASEAN各国に対する親善大使という形のため)。
因みに、ASEANはシンガポール・インドネシア・ラオス・タイ・マレーシア・ブルネイ・ミャンマー・カンボジア・ベトナム・フィリピンとなっています。


17日
ゆっくりと

寝れるぞ、と寝ていたのだが。
習慣でいつも起きる時間に一度、目が覚めてしまった。
なにかとても悔しい。
結局まともに活動するために起きたのは夜の9時過ぎの事であった。


18日
SARS予防

日曜日だが、書くことがないので職場で励行されていることをあげてこう。
3月後半辺りからずっと世間を騒がせているSARS。
これの予防としてうちの職場では一人に一つ、50ミリリットルほどの小さいうがい薬とコップが配られた。
そしてトイレの洗面台の所には消毒用アルコールボトルが置かれるようになった。
うーむ、用意周到というか何というか。
それにしてもうがい薬はともかく、コップまでつけて渡されるとは思わなかった(因みに薬の使い方説明書もついていた)。


19日
財布

銀行からお金を下ろしてきて、しばし財布が豊かになった。
家に帰り、微々たるものではあるが、食費として家にお金を入れた。
あっさりと軽くなる財布。
もの悲しいと共に、一人暮らしなんぞ夢のまた夢ではないかと、思ってしまった。


20日
死線を越えて

今日も今日とて走る。
いつものような多少の小走りなどではなく、本気で走った。
一時、中学生時代の100メートル走を思い出した。
ここからあの交差点まで走って、そこを越えたら再び走れば次の信号が変わる前にそれを渡り終えることが出来る。
次の信号も同じだ。
休み無く、必至に走る。
なんとか間に合ったようだ。
汗だくの状態ではあるが、「おはようございます」と取りあえず席に収まる。

ふぅ、これから暑くなるにつれて流石にこんなことを繰り返してちゃ体がもたんなぁ。


2003.May
マンネリな季節、5月

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