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日米政府の極秘外交文書に見る第五福竜丸 枝村 三郎(静岡県近代史研究会幹事) 極秘外交文書「第五福竜丸その他ビキニ原爆被災事件関係一件」と研究活動 1991年10月、外務省は機密保存されていた1952〜60年の極秘外交文書を解禁し公表した。その中に極秘外交文書「第五福竜丸その他ビキニ原爆被災事件関係一件」がある。内容は、「第五福竜丸被災実験一般、被災事件に関する日米連絡会議、事件善後措置に関する打合会、原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会、損害補償に関する経緯」等の史料である。 私は論文として、1994年10月に外務省の極秘機密文書に見る「ビキニ水爆被災と第五福竜丸事件」、翌年に「ビキニ水爆実験による静岡県の被災漁船と漁業補償」、昨年に「第五福竜丸事件と静岡県の原水爆禁止運動」(『静岡県近代史研究』誌に掲載)で発表した。今年1月に『平和をもたらした龍――第五福竜丸事件』を自費出版した。 1、日米両政府は安全保障上の問題として最も重視した 1954年3月14日、第五福竜丸が焼津に帰港、16日に各新聞は第五福竜丸被災を報道。3月17日、奥村勝蔵外務事務次官に対して、アリソン駐日米大使が申し入れた。 「米側は本件に関する安全保障の問題を特に重視している旨を申し出る。福竜丸に関連する機密を保持し、汚染の除去を安全におこなうため同船を横須賀に回航してもらいたい。ABCC(広島・原爆傷害調査委員会)が福竜丸事件に関し充分に協力し援助をおこなうようにとの指令を受けている。」 同日、岡崎外相は井口駐米大使に、至急電を送り米国務省と交渉するよう要請した。 「本件は格好のトピックとして昨16日以来新聞は勿論、国会における質問の中心となりたる観あり。かつ左翼分子の扇動もあり、これを放置することは日米友好関係上面白からざるのみならず、米国の必要とする機密保持に対する我方の協力に遺憾の点を生ぜしむるごとき空気を誘発する恐れなしとせず。これに対しもしこの際米国政府が進んで、『もし日本漁船に何等過失なかりしこと明らかとなりたる際は、被害補償の措置をとる用意あり』との趣旨を公式に声明すれば、わが世論を鎮静せしめ事件を円満に処理するに多大の効果ありと認められる。」 2、被曝した乗組員に対して、米国側の要求は検査資料だった 3月24日、外務省で治療・調査関係者による日米連絡会議が開かれた。内容は患者の治療・環境衛生及び食品衛星に関して一般的な質疑が行われた。日本側からは問題提起があった。 「被災者の治療上の根本的問題として、被災者の体内に入った放射性物質の種類、灰の分析と各元素に対する治療法、検出方法、除去方法その他に関して一般的質疑応答を行った。専門的な問題に関しては別途原爆症調査研究協議会を通じて協議すること。ビキニの灰が空気や海流に乗って日本内地に影響を及ぼしていないか。」 米国側は、「灰の分析を行っていない。空気・海流における放射能の汚染は実験区域付近に限られている。実験場から遠隔地にある人間・動物及び食物には何らの危険が存しない」と回答した。特に灰の件と尿の分析は発表しないことを申し合わせた。患者にはABCCの日本医師が接触する。 3月30日〜4月1日、米国医療関係者・モートン博士の診断要求は、一人当たり3時間の問診と血液・生化学的検査等8項目に及ぶ内容で、患者達はモートン博士一行の診断を拒否した。 「焼津において治療より研究を重視し、米国の研究材料にされるという心配や、米国から乗組員がスパイ視されたこと。患者達は米国の核実験による犠牲者という感じが強く、家族縁者等に戦争の被害者が多い。主治医以外の学者の発表に絡んで患者達を刺激した」。日本側医者・科学者にも、アメリカへの試験台にされることは真っ平なりとの意識が強く働いた。 4月7日、外務省はアリソン大使の総理大臣宛の書簡に対して、次のような返書を出した。 「船から採取した灰の分析は、被災患者の治療上必要であったので日本側学者は積極的にこの分析に当たったのであります。この分析結果が統一なく発表されたことは遺憾でありますが、原子力研究に関する機密保持の法則を欠く今日の日本の実情よりして、研究結果の発表を政府が統制することが極めて困難である事情を御理解願いたいと考えます。被災患者の診断に関しては、白血球の数・尿等、患者の実態を判断すべき資料については、随時これを米側医療関係者に提供している」。 4月26日、研究協議会臨床小委員会は、外務省・厚生省で内外記者団に病状経過や治療の経過を特別発表した。「ビキニ被災者病状報告書」が提出されて、日米関係の誤解を解く目的と補償問題にも関わるとして、外務省を通じて患者23名の詳細な症状を米大使館に正式に通知し、外人記者団にも同様の発表を行った。 3、第五福竜丸の取り扱いについて、機密の保持を最優先した 3月17日、アリソン駐日米大使は、奥村勝蔵外務次官に第五福竜丸について提案した。 「福竜丸の汚染の削除は、技術的訓練を受けたもののみが完全に実施しうるものであり、米大使館は責任をもってこれを行うことを日本側に申し出てもよいとの訓令を受けている。(中略)放射能の関係で公衆衛生上危険であるので、福竜丸に接近することは厳重に取り締まり、同船の汚濁の消除を安全に行うために技術上の問題もあるので同船を横須賀に回航することを希望する」。 3月24日、アリソン米大使は奥村外務次官に、次の事項をあげて要請をした。 「(イ)福竜丸の汚染消除を米軍海軍に行わしめるか、同船を海中に沈めるか又は同船への立ち入りを防止されたい。(ロ)米側の技術者にも自由に患者を見させてもらいたい。(ハ)放射能を帯びた灰・着衣・木その他のインベントリー(資料目録)をとり政府が責任をもって保管されたい。(ニ)本件関係者の外部への発表を審査し、検閲するようにされたい」。 3月26日、政府は安藤国務大臣を議長にして、田中官房副長官・外務・大蔵・文部・厚生・農林運輸の関係省次官を委員、各省局長・庁長官を幹事とした「第五福竜丸事件善後措置に関する打合会」(以後、打合会と略)を設置した。第一回打合会では、第五福竜丸について方針を決めた。 「1、(イ)の福竜丸は文部省が買い上げ管理する。2、(ハ)灰の行方・漁夫の衣類・船具に関する目録を文部省が管理する。3、被災者の治療に関する発表は原爆症調査研究協議会を通じ統一的に行う。4、学術上の研究発表に関しては、文部省において出来るだけ統一するよう努力する」。 4月1日、第三回打合会が開かれた。船の保管について田中文部次官より、「閣議において文部大臣は文部省が管理することは機密保持の観点より困難であり、むしろ沈める方がよいと発言された経緯あり。学者の意見を更に聞き取りたい」。文部大臣は、「船全体は不要で一部でもよいと湯川(秀樹)博士も述べた」。 4月7日、岡崎外相は船の処置について、井口駐米大使に公電した。 「閣議においてこのまま放置しておくは機密保持上面白からざるにつき、この際政府で買い上げることを決定した。これが実現の上横須賀に回航し、放射能を除去するなり海に沈めるなり出来る訳である。日本側の科学者等は永く保存することを主張しているも、閣議においてはこれに反対で、米側にも協力し機密漏洩を防止すべしとの結論であった。米側は横須賀に回航しディコンタミネイト(放射能除去)することを要求せる後に撤回し、日本側において、(イ)ディコンタミネイトするか、(ロ)海に沈めるかまたは、(ハ)隔離することを要求している」。 5月17日、文部省は福竜丸の買い上げを決定した。管理費用の文部省負担と買い上げ以前を政府負担にするようにし、焼津港内の適当地に係留替えを予定した。 第五福竜丸は「被曝の証人」として、患者達の治療のため放射能・放射線の検査で必要だった。 4、水爆被害の補償問題は、原水爆実験の禁止を求めず慰謝料で決着した 4月10日、外務省は井口駐米大使を通じて、次の問題を指摘し米国務省に申し入れた。 「本件をめぐる国内の動きは、全然過失のない日本漁民が米側の行為により不慮の災害を被ったのである。米側は当然充分な補償を早急に行うべきであるとし、又事件当初の米側の動きを不満とすると共に引き続き実験実施によって国民感情も刺激されている状況である。この国民感情を緩和するためには、米国政府は機を逸せず十分な補償を行うよう政治的配慮を加えることが望ましい」。 5月21日、米国大使館バッシン法務官と書記官が外務省を訪れて、アジア局長・条約局長との話し合いがもたれた。米側から次のような非公式の口頭提案があった。 「ビキニ実験を国際法上の不法行為なりとする見解は絶対に取りえないので、本件補償を不法行為に基づく損害補償として支払うことは出来ず、日米行政協定の下における補償と同様慰謝料として支払う建前を取りたい。第五福竜丸の船体についてすでに日本政府が買収しており、米側が最早補償を支払う必要がない。第五福竜丸以外の漁船の漁獲物被害は、ビキニ実験との因果関係が説明されず損害賠償の算定も出来ない」。 10月23日、外遊した岡崎外相は米国務省において、ロバートソン国務次官補との会談がもたれた。ロバートソン国務次官補は、次のように発言した。 「米国が巨額を費やし水爆実験を行いおるは、自国の利益のためのみにあらずとの点を強調し、ただ本件を未解決のまま放置することは共産主義者等の利用するところとなるべく、一挙に最終的解決を図るべきである」。 12月3日、米大使館バッシン法務官(法律顧問)が外務省を訪ねて、下田条約局長に補償額のノート案を提示した。 「(1)本件補償は一に人道的考慮と米側の好意に基づき、法律上の責任問題を全く度外視して行われるものであり、この点公文の中で明記したい。(2)今回の支払は全てを解決せんことを目的として行われるものであるから、今後更に鮪を投棄することがあっても、また不幸にして更に死者が出ても、追加の支払は行わない建前であり、この点でも公文中に明記しておきたい」。 12月14日、鳩山一郎内閣は、「法的責任に触れず単に補償」の処理方針を決めた。 1955年1月4日、鳩山内閣は初閣議で、「ビキニ被災事件の補償問題の解決に関する件」を決定した。 「(イ)アメリカ合衆国政府は日本国民の損害の補償のため、法律上の責任の問題と関係なく慰謝料として200万ドル(7億2000万円)を支払う。(ロ)前記の金額の配分は、日本国政府がこれを決定する。(ハ)日本国政府は前記の金額を、前記の原子核実験より生じた日本国及び国民の一切の損害に関する請求の最終的解決として受諾する。(ニ)前記の趣旨により、外務大臣とアメリカ合衆国特命全権大使との間で公文を交換するものとする」。 同日、午後4時に重光外相とアリソン米大使との間で、「交換公文」が交わされ政府発表となった。 交換公文「ビキニ被災事件の補償問題に関するアメリカ側書簡」(日本語訳)は、「日本国並びにその国民及び法人が前記の原子核実験から生じた身体又は財産上の全ての傷害・損失又は損害について、アメリカ合衆国又はその機関、国民若しくは法人に対して有する全ての請求に対する完全な解決として受諾するものと了解します」。 1月22日、日本鰹鮪漁業協同組合連合会、日本鰹鮪漁業者協会会長横山登志丸は、鳩山一郎首相に「公開質問状」を提出し、鮪漁業者が到底承知できないと7項目の回答を求めた。 「(1)事件の責任の所在が明確にされず、(2)日本国民の等しく憂慮する将来の原水爆実験の危険に対し、具体的防止の取り決めがなされず、(3)慰謝料は政府自ら積算した損害額の3分の1にも達しない。日米交渉の秘密外交の清算、ビキニ水爆実験の違法行為の損害賠償、漁業者の損害額の要求、原水爆が人類の破滅を導くもので水爆実験の中止要求、危険区域設定による被害補償、水爆実験による漁業の危機的状況等の7項目である」。 2月29日、政府側「回答書」が根本龍太郎内閣官房長官名で、会長横山登志丸宛にあった。 「1、対米交渉に当たって法律的責任追及の形を取らず、政治上の解決を図る方針を取っていたこと。2、政府は実験自体の合法・違法の問題を論議することを避け、日本国民が実験により被った損害につき米国政府の注意を喚起し、政治上の解決として出来るだけ多額の補償を得ることに努めた。3、(略)、4、政府は将来の原水爆実験に関し、日本国民に損害を及ぼさない地域に実験場を移すよう米国政府に申し入れる」。 日本政府は、米国に対して一貫して「原水爆実験の禁止」を求めず、同盟国として原水爆実験を肯定していた。日本政府は水爆実験が世界核戦争体制へ危機感もなく、核実験が大気・海洋と地球規模の汚染をもたらしたことに対して、漁業者の海洋上の安全操業や日本人の食生活・水産物の安産さえ保証しなかった。放射能で汚染された漁獲物が大量に廃棄され、漁業関係者や水産加工業者が被った膨大な損害の事実を無視し完全な補償のないまま妥協した。 ○水爆被災の実態
全 国:汚染した漁獲物を放棄した漁船数 ― 856隻、廃棄量486トン 5、原水爆禁止の平和運動は、平和憲法擁護の運動と連動していた
1954年3月、自由党は憲法調査会を発足させ、11月に「日本国憲法改正大綱」を公表し、全面的な改定が必要だとした。改進党は4月に憲法調査会を発足させ、9月に「現行憲法の問題点の概要」を公表した。同年1月に社会党・労農党、総評・新産別組合は、「憲法擁護国民連合」を結成して「憲法擁護国民連合要綱」を決定して、「平和憲法を守ろう」と国民運動による改憲を阻止する運動を提起した。第五福竜丸事件50年は、国民的な原水爆禁止運動の新たな再生の年であり、平和憲法を守る護憲の年でもあると思う。
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