ギムレットには早過ぎる  ミステリー雑学百科11

 ハードボイルドの私立探偵は酒飲みが多い。しかし、カクテルのギムレットを飲む探偵といえば、まずかの誇り高い、優しい正義の駆士フィリップ・マーロウを思い出す方が多いだろう。
 レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」の中で、私立探偵のマーロウは、友人のテリー・レノックスと“ヴィクター”というバーでこのカクテルを飲むのである。
 ギムレットというカクテルはどういうものか。酒にうるさいテリーの言葉を借りてご説明しよう。「ギムレットの作り方を知らないんだね」とテリーは出て来たカクテルを飲みながらいう。「ライムかレモンのジュースをジンとまぜて砂糖とビタを入れれば、ギムレットができると思っている。ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、ほかには何も入れないんだ。マティニーなんかとてもかなわない」
 こういう文章を読むと、好きな人は本物のギムレットを飲みたくなるものである。
 翻訳家の丸本聡明氏もその一人で、このローズのライム・ジュースを横浜本町のとある酒屋で発見した喜びをある所で次のように書いている。
 「これを読んで以来、“ローズ”のライム・ジュースを探し求めたが見つからず、諦めかけたところ巡り合ったのだ。私はそれが西インド諸島産で、1865年から製造されていることを初めて知った。感激のあまり一ケース買って帰り、ジンと同量混ぜてギムレットを作ってみたが、香りといい味といい最高で、国産のライムなど寄せつけない。早速何人かに友人に“真物(ほんもの)はこれだ”と進呈したものだ」
 もっとも氏によると、その後このライム・ジュースは添加物に問題があるとして輪入が禁止され、再会したのは、パリの空港のバーであったという。
 本物のギムレットを飲むのも大変な苦労をしなければならないわけである。それはさておき、テリーはその後、億万長者の娘でかれの妻であるシルヴィアを殺した容疑者として警察に追われ、姿を消してしまう。
 そして、やがてマーロウのもとに、自殺を暗示するような手紙が舞い込んだ。
 「事件についても僕についても忘れてくれたまえ、だが、そのまえに、ぼくのために、“ヴィクター”でギムレットを飲んでほしい」
 マーロウはテリーの思い出のために“ヴィクター”に行ってギムレットを飲む。そして、そこで、シルヴィアの姉のリンダ・ローリングと出会うのだ。
 こんなふうに「長いお別れ」ではギムレットが巧みに小道具として使われているが、圧巻は死んだはずのテリーとマーロウが再会する所だろう。整形手術をしたため別人のようになったテリーはサングラスをはずしながらさり気なくいうのだ。「ギムレットにはまだ早過ぎるね」と。
 あなたも今晩あたり、気の合ったお友達とギムレットをどうぞ。


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