ARTOTEKNIKA LABO

2002.5.30更新

アルトテクニカ・ラボにようこそ

 アルトテクニカ・ラボは、当ホームページの主催者である不肖本間が関心を持つすべての事象を研究対象とする極めてあいまいな研究所である。

 取り敢えず、現在の最大の研究課題は「人類の地球上の生物の中での位置づけ」「地球環境の変化」でこの件に関する要旨は次の通り。


人類は生物の中でどのような位置にあるのか

98.8 本間隆雄

1.一生物としての人類
私たちの思考の中には、無意識のうちに「人類が最も進んだ生物である」との前提が入り込み、それがさまざまな分野で誤った判断を生み出している。もし、このテーマを、「非ユークリッド幾何学」の公理のように一つだけ「人類が、地球の誕生以来おそらく何十億種類も発生してきた生物の中のたまたま現在大繁栄している一種類の生物に過ぎない」と置き換えてみると、いろいろな現実が見えてくる。
そこで最初に突き当たるのは、それでは人類はその中でいったいどんな位置づけをされるのかと言ったテーマである。
取りあえず、生物を「外界の物質を摂取、排出または利用し、個体及び種の維持、成長、増殖を実現する物質」とでも定義することとする。このように定義すると維持、成長、増殖の方法(便宜上、以降は「生存様式」と表現させていただく)は種ごとに異なるが、例外なく全ての生物に共通しているのはエネルギーの活用がその基本となっている点である。
このエネルギーの活用の形態から生物を分析してみると極めて興味深い分類が可能となる。この点から生物をマクロに分類すると、それぞれの生存の過程でエネルギーの消費を最小に押さえその目的を達成したものと、反対に最大に消費しより有効に環境に適応してきたものとの二つの方向に分類することができる。
微生物や植物は前者に属するが、比較的大きな動物の中でもなまこくらげなど水中で生活し運動量を最小限に抑えながら生存する動物は前者で、ほ乳動物などは後者の典型である。
ところが人類は火の利用の発見を出発点に、そのほ乳動物の中でも特異な生存様式を選ぶことによって、大きな成果をおさめた。他の全ての生物の生存様式は太陽や地熱などの自然界(外界)のエネルギーを基本的には一定時間内に循環できる範囲内で利用する形態であるのに対して、人類の採用したエネルギーの活用法は、長期間にわたって蓄積された自然界のエネルギーを復元することのできないような短期間に解放することに特徴がある。
この点こそ人類が他の全ての生物と決定的に道を分かった分岐点であろう。

2.異常な人類のエネルギー消費量
人類の選択したこの「生存様式」が人類にとって大成功であったことは、現在の異常とも言える大繁栄(繁殖)を見れば明らかである。
地球の地表に存在する動物の総重量の中で、人類及びその影響下に存在する動物(主として家畜類)の占める比率は他の全べての動物の合計をはるかに上回るであろう。単一の種がこのように地球全体を自らのテリトリーとして占有したことは、生物の発生以来かって存在したことはない。このような状態は生態系的に見れば極めて異常な、従って柔軟性に欠ける脆弱な構造と言うことが出来よう。恐竜が地球をわが物顔に跋扈していた時代があったと考えられているが、それは何千種という恐竜全体によるものであり、一つの種の占める割合は微々たるものであった。
もし、地球という恵まれた空間が無限の広がりをもっていれば、われわれの生存様式はこの宇宙で最も優れた方法であり、従って人類は最も賢明な生物であると誇ることができたであろう。しかし現実には人類の生存による影響の総量は、地球と言う限られた「閉空間」の許容量を超えるほど巨大な値とり、しかもその値は加速度的に増加しつつある。
私自身は、その値を数量的にまだ算定していないが、エネルギーの使用量の総和は他の全ての動物の使用量の総和の恐らく数百倍あるいは数千倍になるものと推定される。しかもその大半は数億年にわたって太陽から与えられ、蓄積されたものである。更に大きな問題はその消費の速度で、恐らく数百年と言う短い時間でそれらを解放し尽くす値で、時間当たりの入出力比は百万倍という途方もないオーダーの数値である。
これはバブルの崩壊などといった生易しい表現ではとても言い表すことのできない値で、まさに暴発としか言いようのない数値である。

3.人類の未来は?
この意味では人類は生存様式そのものの中に、自滅の要因を内在している不幸な種であるとも言うことができるかもしれない。
しかし、私自身も人類の一員である関係上、身贔屓に過ぎる危惧はあるものの生来の楽観主義者であることも手伝って、何らかの解決方法をいつか人類が発見することを期待している。もちろん私自身がその解決方法を具体的に提案できるなどという大それた思い上がりは微塵も有しないが、最終的には他の生物と同じく太陽から降り注がれるエネルギーを復元可能な範囲内で人類が使用する生存様式を見出すことが唯一の道であろうと、現在のところ考えている。ただその場合、他の生物は比較的狭いテリトリーと時間軸を単位にエネルギーの復元可能な生存様式を採用しているのに対し、人類の場合には地球全体を一つの空間とし時間的にも比較的大きなスパンを採る以外に解決方法はないのであろう。しかも、その前提として大気温度、組成などの変化が決定的なダメージを生物、なかんずく人類の生存条件に与えないという難解な条件下に「解」を求めなければならない。
問題はそのような「解」が現実に存在するのか否かである。またその解が理論的に存在したとして、それを実現するには、恐らくこれまでに築き上げた技術や文明の形成に要したものの何十倍もの智恵と努力が人類に要求されることは疑う余地がない。中でも最大の問題は政治、思想、宗教、国家、民族間の対立などがそれらを阻害する重大な障害となって立ちはだかる可能性が極めて大きい点である。
もし人類が真に叡知(このような表現自体が不適切なような思いが強いが)と呼ばれるものを持ち合わせているのであれば、いつかは適切な生存様式を見出す可能性はあろう。但しその猶予期間は決して長くはなく、今後数百年が限界で、望むらくは百年位ではないだろうか。


地球温暖化による

最も怖いシナリオ

2002.5 本間 隆雄

地球温暖化に歯止めを掛けるための「京都議定書」からの一方的な離脱を宣言した米国のブッシュ政権、主催国の責任を放棄してそれを擁護する小泉政権、これらは未来の人類に対する許しがたい行為だと考える。議定書そのものが極めて不十分である上に、さらにそれを無きものにしようとする動きは言語道断としか言いようがない。
実は私自身、「人類は生物の中でどのような位置にあるのか」を書いた98年当時、温暖化の影響が人類にとって深刻な災害をもたらすのは数十年から恐らく1世紀以上先のことだと高をくくっていた。その根拠は、現在の予測では地球表面の温度上昇の速度は百年間で3ないし5度程度と見られているからである。そして従来通りゆっくりと温度上昇が続くのであれば、重大な影響が現れるのは平均温度が現在よりも3、4度高くなる時期、つまり百年ほど先ということになるからである。
環境激変の可能性
しかし、最近の様々な調査や研究結果を知り、それが非常に甘い希望的観測だったと考えるようになった。地球全体の気温の平均値は比較的緩いカーブを描いて上昇することは確かだとしても、地域ごとおよび時期ごとの温度分布は激変する可能性が高いということである。いわゆる唯物弁証法で言う「量から質への転換」と呼ばれる現象である。
その中で最も必然性が高く、しかも深刻な影響を及ぼすと見られているのが、海流の変化による影響である。この点でかってNHKほか幾つかの民放で放映された「深層海流」の消滅という予測は衝撃的だった。
それは現在の地球上の各地域の毎年の平均温度がほとんど変わらないのは、「北海で海底に沈下した冷水が深層海流となり大西洋を南下、喜望峰を越えインド洋を経由して太平洋を北上してベーリング海で浮上し、上層の海流となることで地球全体の気候が平準化されて現在の温暖な環境が作られている」とのレポートである。
そして地球温暖化の影響で大量に解け出した氷によって塩分濃度が下がり、海水の比重が小さくなり、この「深層海流」が消滅あるいは変容しつつあるとの報告である。
この「深層海流」が発生したのは今から1万3千年程前で、それ以前の地球の温度分布は現在と全く異なり、各地域の年間の平均温度も年ごとに10度前後も激変していたということである。この推論は極めて説得力がある。もしこの予測が正確であれば、現在の地球の温度分布はまもなく崩壊し、1万3千年以前の状態に戻ることになる。
この1万3千年という時間は、丁度人類が世界中に広がり現在の大繁栄を築いた期間である。この人類大繁栄の可能性を生み出した地球環境の失われた状況下では到底現在の大量の農作物、畜産物などの生産は不可能となり、人類の食料を確保出来ないことになる。その時期は、遠い先ではなく私たちの子供か孫の時代である可能性を十分に想定しない訳には行かないからである。
すでに世界最大の二酸化炭素排出国である米国が、さらにそれを拡大し続ける行為は、少し過激な表現が許されるならば「緩徐な大量虐殺」を行っていることと同一ではないだろうか。自国と自分を取り巻く一部の独占資本の目先の利益擁護のために、人類全体に大きな損害をもたらすブッシュ政権の政策は、正に犯罪的な行為と言ってもよいであろう。