01. はじめまして


 終わりよければ、すべてよし――世の中には、そういう言葉がある。けれども終わるということは、まず始まらなければ成立し得ない。これが自然の道理というものであり、実に明快な論理でもある。
「って、ばっかみたい」
 手近にあったクッションをダンボールに投げ入れて、天井を仰ぐ。
 たとえば、セックスだ。なんだかんだいって、結局気持ちよければそれでいい。そりゃ顔とか身長とか年収とか、言い出せばそれだけ色々と選択条件はあるけれど、つまるところ一時の付き合いなら身体の相性に限る。
「まー、割と条件も良かったんだけどねー」
 顔良し、身体良し、年収は……知らないけど、まぁそこそこありそうだし。っていうか、あの人に奢ってもらったのってホテル代と酒代くらいじゃない? うわっ、最低。
「なんだかなぁ、最後までわけわかんない人だわ」
 緩く首を振って、お気に入りのカップや花瓶を新聞紙で包む作業に取り掛かる。
 生意気に聞こえるかもしれないが、二十数年という歳月の割にはいろんな人間――というかオトコを見て来た方だと思う。そういう意味では人生経験豊富だし、比較的目も肥えていると自負している。
「単純、なのよ。アレは」
 我ながら前言とはまるで矛盾している台詞は、しかし、やっかいなことにそれもまた真実だと確信していたりする。
 最初は、単なるイイオトコ。その次は、意外とワルイヒト。そうして最後は、困ったお坊ちゃん。出逢った頃のままで在り続ける人なんていないし、印象なんてその時々で転がっていくものだし、付き合い出したら別の人なんてありがちな話だけれど――それでもこうも意識が変わるのに、やっぱり同じ人に見えるなんてそうそうない。
 大学の優秀な先生で、なのに目の前にある肝心のことには頭が働かなくて。腹が立つほど冷淡で、でもオンナのカラダってヤツを知り尽くしてて。多分リッチで関わるには楽で、結局付き合うにはややこしい人。
「……今頃、泣いてなきゃいいけど」
 もう一月も前の、あたしなりの一世一代の名舞台。せっかくカッコよくバイバイ出来たのに、今更心残りの欠片なんかが出て来たから……気がつけば、絶対近づかないつもりだった場所に立っていた。だからこそ今までみたいに、見事ばっさり切り捨ててもらいたかったのに――あんな顔で、あんな声で呼ばれるなんて、反則だわ。
「ほんと、馬鹿」
 思わず、抱き締めて頭でも撫でてあげたいなんて。可哀想に、怖かったねと慰めたいなんて。――まったく、どれだけあたしの意外性を引き出せば気が済むの。そもそも、あたしは子ども嫌いなのに、よ。
「わかったわよ、いい加減。だってあたしは貴方ほど鈍くないもの」
 好きだった、好きだから。今までのヒトがしきりに口にしてた、「アイシテル」の尻尾が掴めた気がしたから。
 だからあたしは無理をしてまで、傍に居たくない。だって知っている、だってわかってる。どんなに思ったってあたしは腕を伸ばさないし、どんなに望んだってあたしは口を開かない。それがあたしなんだから、それがあたしの愛し方なんだから。
 経験なんて関係ない、プライドなんて意味もない。なんの曇りもなく好きだと言えるから、あたしはあの人を過去にする。でも過ぎ去った時間を否定して、そんな自分を卑下する気なんてさらさらない。それは自分のココロまで、否定することになるから。
 漸く食器類を片付け終わり、ガムテープを手にしたその時――少しは離れた椅子の上で、軽やかな電子音が響き出した。引き寄せた小さな液晶画面、そこに表示された文字に知らず口元が綻ぶ。
「――はい」
『あ、祥子さん。あの、荷物の方は大丈夫ですか?』
 勢い込むような、堅い声。もう指では数えられないくらいには逢っている筈なのに、それでも第一声は必ずいつもこんな感じで。
「運送会社に頼んでますから、ご心配いりませんよ。渡会(わたらい)さん」
『あの、でも、お独りじゃ何かと不便では』
「小物しかありませんから、平気ですって。それとも、本当に独り暮らしだったのかお調べになりたいのかしら?」
『そんなっ、いえっ僕はあの、お気を悪くされたのなら、あの、その……』
「でも、過去を遡って調査するのは、貴方のお仕事の基本でしょう?」
『そ、そりゃ僕は民事専門の弁護士ですが、でも、あの、しょ、祥子さんは、今現在僕とお付き合い下さっているわけですし。その、そういう現実が本物なら、それでいいと思います。祥子さんの過去というのは、祥子さん大切な思い出だから、僕がどうこう言う権利もつもりもありません。それに僕は、その、そういう思い出を持ってここにいる祥子さんが、その祥子さんこそが、あの……すいません、僕は何を言ってるんだか』
「……ねぇ、正行(まさゆき)さん」
『は、はいっ』
 軽く瞳を閉じて――おそらく携帯片手に直立不動になっているであろう、その姿を思い浮かべる。
「あたしのココロには、今は貴方しかいませんからね」
『し、祥子さんっ?』
 完全に裏返ってしまっているその反応に、あたしはつい、声を洩らして笑ってしまった。
 終わりよければ、すべてよし――世の中には、そういう言葉がある。けれども終わるということは、まず始まらなければ成立し得ない。これが自然の道理というものであり、実に明快な論理でもある。
 あたしのココロはまだ、走り出したばかり。終わりなんて到底見えやしない。
 だからその第一歩を教えてくれた、人を好きなるということに「はじめまして」ときちんと言わせてくれた、あの人という存在をあたしは過去にする。誇りにするとか忘れるとか、そんな具体的な方法は今はまだわからないけれど。それでも始まりの挨拶だけでは終わらない想いと、これからも付き合っていきたいから。
 今でも――うぅん今だから、好きです。だからありがとう、さようなら。そうして願わくば、あの人を抱き締めて慰めてあげられる人が、そのことにちゃんと気づきますように。

 あ、それから――あたしの現在一番の貴方と、どうか身体の相性も合いますように。
「でも本当に好きなんですよ、正行さん」



2003.3.24.




 そんなわけで、別ジャンルで書くといいながら、初っ端から文黎大の番外編です。誰よこれ、という方は拙作「第三火曜日の悲劇」→「下弦の月」→「そして、満ちる月」をご参照下さい。
 それにしても、まったくお題に合ってませんね。無茶苦茶こじつけですね。全体的に意味なしヤマなしオチなしで、しかもかなりこっぱずかしい内容ですね。
 あーでも、渡会さんは書いてて面白かったな。でも彼って年収はともかく、顔と身長はあるんだろうか?



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