11年ぶり4度目のハワイ。
11年前は、娘と母も一緒だった。
寄せる波の音も、プルメリアの香りも11年前と同じ。
いや、もっともっと前から、私たちが生まれるずっと前から波は寄せては帰っていく。
そして、私がこの世にいなくなっても、波はこうして静かに白砂を洗うのだ。
 コナ空港からマウナケアビーチホテルへ約50分。
溶岩に覆われた黒い大地の広がるハワイ島に、リゾートのシンボルに植えられたヤシの木の並木。花々が咲きこぼれ、小鳥鳴く中、アロハの笑顔があふれる。
 芳醇なフルーツに彩られたトロピカルドリンク。華やかなフラガールの衣装が揺れる。
 それはまさにつくられたリゾート。肩を組んで写真におさまるカップルに、子供を肩車するファミリー。家に帰ればそれぞれの憂鬱がある。不安がある。それでもいいのだ。ハワイだから。何の屈託もないように笑えばいいのだ。
 写真におさまった幸せの思い出に、支えられる日があるかもしれない。

 ホテルのラナイで潮風に吹かれながら、うとうと午睡。
プールから、子供の歓声が聞こえる。
 日本語でも、英語でも、子供のはしゃぎ声は同じだ。

 まどろみながら、11年前に時間が逆もどりするような錯覚を覚える。
 日焼けを気にしながらも、久しぶりに海に入る。
最初は冷たくて小さな悲鳴をあげたのに、首まで海につかると、思いの外、水は優しい。 四肢の力を抜いて、ふんわりと海に浮かんでは、地球に存在する無数の生き物の一つであることを実感する。
 夜更け、ラナイで空を見上げる。最初は漆黒の闇。目を凝らしていると、やがて、ひとつ、またひとつと星が現れる。明かりやテレビの画面を見ていた目には、すぐには星がとらえられないのだ。
 やがて、空は満点の星に満ちる。海から白く輝き昇っていくミルキーウエイの神秘な瞬き!
 この光はどのくらい前に放たれた光なのか。どのくらいの距離から放たれた光なのか。
 時間と空間の感覚がわからなくなり、この自分の、絶対的に思える孤独が、果たして孤独なのかどうかもわからなくなる。

 旅の終わりはいつも切ない。
長いフライトの後、たどり着いたリゾートホテルで、眼下に広がる海の景色に歓声を上げたのはついこの間なのに。 最後の日にも同じように、あっけらかんとした陽の光に輝く海の色が恨めしい。

 旅は終わるから、楽しい。そんなことわかっているけど。

 帰りのハワイアン航空機で、隣に座ったのは、新婚さんらしい二人だった。片方の手で、彼としっかり手をつないでいた彼女。離陸後、窓の外に遠ざかるハワイ島に、もう片方の手で、小さくバイバイの手を振った。楽しい旅だったんだろう。これから色んなことが二人の間にあるんだろうけど、この思い出が二人を支えることもきっとあるんじゃないのかな、と思ったりして、感傷的な気分の私はちょっと涙ぐんだりする。

 私が、満員電車に揺られているときも、会議資料作りに追われているときも、ここでは、白砂の海岸に波が寄せ、鮮やかな魚は波間に踊り、小鳥は謳い、花が香る。ハワイ島、マウナケアビーチ。