「ちぎれた体」
あの子なしでは一日だって生きられないと思っていた。パパとあの子が遊びに行ったときにはたとえ数時間でも寂しかった。なのに、もうあの子のいない日を9ヶ月近くも過ごしてきた。1分だって綾のことを思わない時間はない。悲しみから逃れぐっすり眠った夜は一夜とてない。
もし心というものが目に見えたなら、人は私から顔を背けるだろう。私の心は半分ちぎれてなくなったままだ。その傷跡には薄皮が張るかもしれない。しかし、ちぎれてなくなった半身は元にもどることはない。なくした半分を意識せずいられることも一生ないだろう。
でもそういう人が他にも何くわない顔をして歩いているのに出会うだろう。私のように。
3月22日は保育園の卒園式だった。昨年の卒園式、在園生代表の一人として舞台に立った綾を私はどれだけ誇らしく見つめたことか。そしてあくる年の綾の卒園式を心待ちにしたことか。綾の卒園証書には、綾の生きた5年11ヶ月を上回る6年2ヶ月の保育期間が記されていた。子供たちは綾が亡くなってからもまるで綾がまだそこにいるように振舞うことがあったという。クラスには綾の写真が飾られ綾のロッカーもずっとそのままだった。行事にも写真で参加させてもらったらしい。綾もみんなと一緒に卒園した。
綾は卒園したらどこへ遊びに行くんだろうとこの日がこわかったけど、大の仲良しの成ちゃんが綾が小学校で着るはずだった服を着てくれることになった。綾の写真をかばんにつけて小学校に通ってくれると言ってくれた。綾、よかったね。また一緒に遊べるね。