「身の置き所もない」

 仕事と育児の分刻みの生活は突然に終わりを告げた。衝撃とパニックの時期が過ぎて、途方も無い喪失感の中で無為に時を重ねている。子供のいない夏の3連休。私には何もすることがない。こんな休日、綾夏の喜びそうな提案ならいくつもできるが、綾夏のいない時間をすごす術を思いつかない。すぐにたまった洗濯物、片付けては散らかった部屋も今は嘘のよう。ただ空しい。

 部屋にいても、賑やかな子供の声が道に聞こえると、辛くてそっと窓を閉める。TVをつけても子供や病院の出てくる番組、アニメには慌ててチャンネルを変える。

綾夏が大好きだったスーパーにはもう行けない。誰かに会いそうな近所のスーパーも、できるだけ避けている。「思ったより元気そうね」と言われることも「辛そうね、がんばって」と言われることも耐えられない。

子供連れについつい目が行って、外に出たくないが、何とか買い物に出かけると、子供を自分の都合で叱る親の声に体が震える。花屋の前では流れてきた花の香りに、花で埋まった葬儀の頃を、嗅覚が思い出して体が硬直する。果物屋では綾夏の大好物のぶどうを見つけて、もう2度とあの小さな柔らかな唇に果汁の滴るぶどうを放り込んでやれないことを改めて思い胸が痛くなる。浮き輪や子供の水着のコーナーを足早に通り過ぎたものの、どの売り場にも欲しい物は何も無く、買い物も苦痛に過ぎなくなった。不意に涙が滲むたび、あくびの真似をする。

昨日、扁桃腺が腫れて病院に行ったら、前の席でお母さんが子供に絵本を読んであげていた。去年まで親しんだキャラクターの絵を久々にそこに見た。注射を打ってもらって帰宅してうたた寝をしていると、家に「しまじろう」の絵本が届く夢を見て汗びっしょりで目覚めて、涙が止まらなかった。
 他の人には何気ないことが、綾夏を失ったぼろぼろの私には耐えがたい刺激になる。
 綾夏に会いたくて会いたくて仕様が無いのに、怖くて綾夏のビデオも見れない。

 誰も私を必要としない、何もすることのない午後2時半、手持ち無沙汰に、ふと外を見ると野良猫が向かいの家のガレージの上で昼寝をしていた。大きな虎猫だったのが、春の初めに雄同志のけんかでひどく怪我をして随分弱っていたようだったが、この頃、毛も生えそろってきた。それが、前足を投げ出して心底くつろいだ様子で眠りこけている。それが何となくおかしくて、嬉しくて一人でちょっと笑った。唯一の今日の救い。

私には、もう、身の置き所も無い。