幸いにも母は命に別状無かったものの、脳梗塞の診断で1ヶ月弱の入院生活となった。母は私に対して、「子育てについてこうすればよかったと思い残すことは何も無い。良いと思ったことはすべてした」とかねがね言っていたから、私は、母に対しても同じようにしなければ、思いを残すことになるだろうと自分ができる全力を尽くしてこの1ヶ月を過ごした。 そして、母が退院して1週間。重篤な後遺症は残らなかったが、長い期間ベッドに寝ていた70代の体は容易に元に戻るわけも無く、私の病院通いは、実家通いと変わった。
実家は京都市のベッドタウン。私が引っ越す前後に宅地造成が進んだ。子供の頃は、回りにも同年代の子供がいっぱいいて、地域の子供会も随分盛んだった。集団登校の小学生は小さい子から大きい子までずらりといくつもの列を作り、それぞれの集合場所から、学校をめざしてその列はにぎやかに動いて行った。夏祭りは手品だの歌だのを披露する演芸会に、子供も大人も大いに盛り上がった。まだ造成の手のつかない住宅地の奥の山に虫取りに行くと、時にはカブト虫やくわがた(ゲンジと呼んでいた)も取れたし、かなぶんや蝶はいつだって木に群がっていた。私達の「秘密基地」も山もふもとの蛙のいっぱいいる池のそばにあった。
久しぶりに歩いた町並みは、どことなく変わっていた。勿論、山や池はとうに住宅地になり、なじみの無いあたらしい道ができていて、少女漫画に出てきそうな名前が付けられている。
いつも子供が群がった敷島パンの看板のお菓子屋はガラス戸が閉まりくすんだ色の分厚いカーテンがかかっている。大型のタバコの自動販売機だけが妙に新しく、3台も並んで店先を占領していた。
家に配達してくれていた酒屋さんも、シャッターが降りたまま。がちゃがちゃと瓶の音をさせながら重そうなビールを軽々と肩にかついで家の石段を上ってきたおじさんはどうしているのだろう。
植木屋さんが石置き場にしていた空き地には、ヨーロッパ風を思わせる家が2軒並んで建っている。昔は学校では禁じられていたけれど、石置き場は子供達の遊び場になっていて、私はある日、石から石に飛び移るのに失敗して顔面から大きな石に飛び込んでしまった。あの瞬間の「しまった」という思いと鈍い痛み、次の瞬間、鼻と唇から流れる生暖かい血の感触。
遊び友達の子供達のいた家も、表札はその名前のままなのに、なぜか様子が変わって、門も窓もしまっていて人の気配があまりない。
でも、実家もそれと同じように変わっていた。最初、この家には4人が住んでいた。父と母と祖母と、私と。そして、犬がいたり、猫がいたり、ひよこがいたり、十姉妹やインコがいたり、亀や金魚、ザリガニがいたりした。朝は雨戸を開けて、ご飯を炊いて、お茶を炊いた。学校から帰ってくると「お帰り」と言われ、晩御飯の時には私が今日あった出来事を話すのを家族が楽しそうに聞いていた。夜には、あんかのこたつを入れるためにタドンに火を入れる匂いとぱちぱちした音がした。あの頃、家族の入れ物であるこの家も生き生きとしていた。家族と共に笑ったり、怒ったり、泣いたりしていた。
祖母が逝き、父が逝き、私が結婚してこの家を離れて、母が一人残った。もっと広い家が欲しいと言っていたのに、使われない部屋ばかりになった。5本の物干し竿いっぱいに色とりどりの洗濯物が旗めいていたのに、今は4本は物干しの床に転がって、朽ちかけている。壁も天井も柱もすっかりくすんだ色になった。それは単に汚れたというのではない。年月と、その年月の間にこの家であった家族の出来事の数々、それらすべてに燻(いぶ)されたのだ。
昨日と同じように今日が過ぎ、先週と同じように今週が過ぎ、去年と同じように今年が過ぎるようで、それでいて、少しずつ老いていく母やこの家が、生き生きと生気を取り戻す時間があった。それは、綾夏がやってきてそのエネルギーを撒き散らすときだった。弾かれなくなったピアノの白い鍵盤は、生き返って跳ねた。30年近くもおもちゃ箱でうずくまっていた熊のぬいぐるみは、子供の細くも力強い腕を思い出した。実家は綾夏のワンダーランドだった。
そんな中、古ぼけたソファーから滑り降りる遊びは綾夏を夢中にし、ある日、彼女はガラス戸に倒れこみ、首をガラスの破片で切った。救急病院で治療をしたあと、傷は跡形も無く治り、怪我したことも忘れていた1年2ヵ月後、遠足に向かうバスの中で、体に残っていたガラスが彼女の心臓にいたる血管を破り、そのまま彼女は私のところに帰っては来なかった。
あの日から、私が実家に帰ることは一層少なくなった。自分の悲しみにだけ浸っていた。家はすみずみまで悲しみに沈み、埃でまみれた。そして、そこに埋もれて、もはや家ばかりか自分の体さえ省みることのなくなった母は倒れた。
私は今、そんな母の手を取って、引き戻そうとしている。私自身、生きる意味も見出せないくせに、美味しいとか気持ちいいとか、そんなことでいいから、幸せを感じて欲しいと願う。そのために、食器棚に並んだ5人揃えの食器を磨きなおし、カーテンを洗い、夕食に5種のおかずを並べ、こり固まった母の肩をほぐすのだ。
命と智恵と思いとを、次に引き継げない私達家族は、母の思いがいっぱいのこの家を次に引き継ぐこともない。思いともに引き継げない以上、家は何の価値も無い、汚い古家でしかない。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。人は何一つ形あるものを持って逝くことはできないのだから。