4月中旬に人事異動があり、これまでの勤務地を離れ、遠距離通勤が始まった。これまでの仕事は、ちょうど綾夏を亡くした半年後に担当したので、私は人生で最も過酷な時期をこの職場で過ごしたということになる。
あの日から、私は常に、もうこの世界に、私の居場所はないと思ってきた。そして、どのような仕事も、他の誰かと代わり得るものであると思ってきた。そう、子にとって、母はかけがえの無い、唯一の存在であるけれど、組織の一員なんて「私」である必要がないと。
でも、これは私のひねくれた思い込みだったのかもしれないと、私に思わせてくれることが、先月、あった。私の異動を知った学生達が、次々にメールをくれ、また職場を訪ねてきてくれた。最終日に、呼ばれて廊下に出ると、ずらりと並んだ学生達から、寄せ書きやプレゼントを手渡され、口々に感謝の言葉と励ましをもらった。休学し闘病生活を続ける学生からは私がいたから不安を乗り越えられたと言ってもらった。他の学生からも、あの場面で、私がこうした、こう言った、それに支えられたと、私が忘れていることを並べられた。教授会や同僚からも、これ以上望めないほどの温かい送別をしてもらった。ペアを組んでいた同僚に、私と働けて幸せだった、沢山のことを学んだと言ってもらった。
私はもらった言葉を噛み締めながら、私がこの4年近くを生きてきたことには意味があったのだ、私には私の居場所があったのだと、一人一人が言ってくれているように思えた。私のした仕事は、その質は個人の力に左右されるものの、誰にでもとって代われるものであったかもしれない。でも、私が、仕事を通じて触れ合った多くの人たちとの関係は、私だけが築き得たかけがえのないものなのだ。私は悲しみに心が凝り固まり、身の置き所の無い苦しみの中をただ一人生きていたようなつもりでいたが、本当はとても多くの人に支えられてきた。そして、私がいなくなっても、私が存在したということで、私の関わった人たちの中に何かを残すことができれば、それで私がそこにいたことの意味があったといえるのかもしれない。
贈られたいくつもの、いくつもの「ありがとう」の言葉に、私も思いを込めて「ありがとう」の言葉を返したい。
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人事異動に際して、大量の資料を処分した。これまで、何度かの人事異動の際も持ったままにしていた、就職当時から書き溜めていた仕事のノート、自分が中心に進めたプロジェクトの提案書や報告書、自分が手がけた広報物・・・これまで大事に持っていたこれらのものが、なぜか、今はもう価値の無いものに思えた。異動地に送る荷物はダンボール箱に驚くほど小さくまとまった。
あの日、私は私を破壊された。私が、希望を抱きながら、こつこつと努力して積み上げてきた人生。自分は神様に愛されている、自分にひどいことが起こるはずが無いという人生への信頼感。あの日、究極の夢と希望であった娘を奪われて、それらは、無残に砕け散った。そのとき、私の積み上げてきたこれまでの人生も意味を失ったのかもしれない。綾夏と過ごした5年11ヶ月の思い出のみが私の中で、色彩と音と匂いを伴って生きている。