「求められたいという心」

 加島祥造さんの「求めない」という詩集が話題になっている。「求めない――すると、本当に必要なものが見えてくる」「求めない――すると自由になる」。信州の自然の中で生きる83歳。英米文学から、還暦を過ぎて東洋思想へ。
 「人間は求められるうれしさをよく知っている。求められるだけならいいよ。でも、返さなくちゃいけない。みんな過剰に返してしまう。返さないと次は求められないと思うんだろうね」(加島祥造氏:2008.2.7朝日新聞)

 そうだ。私は求められたいのだ。誰にも求められないことが怖いのだ。誰かに求められることが自分の存在証明であり、生きていることの価値であると、思っているのだ。生きていること、そのことに価値があるのだと何度も自分に言い聞かせてきたけれど、心の奥ではそう思えていない。
  鏡の中の自分は年をとって行き、何でもないつまらない女の子に、ただ、彼女が若いというだけで引け目を感じてしまうようになった。仕事は年々高度化し、量的にも増えるばかり。やりがいもなく、毎日疲れきっているのに、駄目な奴、不要な奴だと思われるのはやっぱり怖い。求められたことに精一杯返さないともう求められないと思う。
  20027月、あの日、私は確かに死んだはずで、もう怖いものも、執着するものも無くなったはずなのに、あきれたことに、まだ、誰かに求められ、評価されることを求めている。そのことがつらくてたまらないのに。

  母親であること。それは、子供にとって、ただ、存在するだけで価値のあることだ。母親であるという存在価値を失くした私は、それだからこそ、誰かに認められたいのか。母にとって娘であること、夫にとって妻であること。その立場もいずれ失う。
 「自然の中にいると誰も私を求めない。自然は何も求めないからね。求められない世界にいると自分も求める心にならない」(加島祥造氏:2008.2.7朝日新聞)
  私もいつかそのようなとらわれない自由にたどり着ける日が来るだろうか。