「永遠の存在」

存在するということと、認識できるということは違う。
  コップに一杯の水がある。水はやがて蒸発する。それを私たちは「水が無くなった」と言う。でも水は無くなったのではない。液体として存在した水分子が、少しずつ空気中に飛び出して行き、その密度が薄くなっただけだ。
  一枚の紙がある。火をつけて焼けば「紙は燃えて無くなった」と私たちは言う。でもそれは無くなったのではない。燃えることはすなわち究極の酸化であり、酸素と結びついて二酸化炭素と水と、燃えカスとしての炭素に変わったのだ。
  一個のケーキがある。食べてしまえば「ケーキはもう無い」と私たちは言う。でもケーキは無くなったのではない。体内で様々な化学反応を繰り返しながら、血肉となったりエネルギーになったり、そして排泄物となったりと変化する。
  無くなったように見えたコップの水も一枚の紙もケーキも、それぞれの分子の密度が変わったり、原子が結合の仕方を変えただけなのだ。すべての物質は原子からできている。化学の教科書の表紙の裏に必ず載っている元素の周期表。この元素の組み合わせ。原子それ自身はその数も種類も、宇宙が誕生したときから今まで、変わるということが無いという。原子は安定した電子配置になろうとして、いくつかの原子と結びついた分子となり、様々な物質を構成する。
  私たちの体を作っている、有機化合物に至っては、炭素、水素、窒素などのごく少数の元素が様々な結合をすることで、無数の物質を作り出している。あるときは木になり、あるときは鉛筆の芯になり、あるときはペットボトルになり、あるときは私の体になる。

難病とともに生きる生命科学者、柳澤桂子氏の著書『生きて死ぬ智慧』は、般若心経を柳沢氏の視点で現代語訳したものである。
<以下抜粋>
「舎利子 色不異空 空不異色 受想行識 亦復如是」
 お聞きなさい
 これらの構成要素は
 実態を持たないのです
 形あるものは形がなく
 形のないものは形があるのです
 感覚、表象、意志、知識も
 すべて実体がないのです

「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄」
 お聞きなさい
 彼はこれらの要素が「空」であって
 生じることもなく
 無くなることもなく
 汚れることもなくきれいになることもないと知ったのです
 お聞きなさい
 私たちは 広大な宇宙のなかに
 存在します
 宇宙では
 形という固定したものはありません
 実体がないのです
 宇宙は粒子に満ちています
 粒子は自由に動き回って 形を変えて
 お互いの関係の安定したところで静止します

「舎利子 色即是空 空即是色 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不滅」
 お聞きなさい
 形あるもの
 いいかえれば物質的存在を
 私たちは現象としてとらえているのですが
 現象というものは
 時々刻々変化するものであって
 変化しない実体というものはありません
 実体がないからこそ 形をつくれるのです
 実体がなくて 変化するからこそ
 物質であることができるのです
 お聞きなさい
 あなたも宇宙の中で
 粒子でできています
 宇宙の中の
 他の粒子とひとつづきです
 ですから宇宙も「空」です
 あなたという実態はないのです
 あなたと宇宙は一つです
 宇宙は一つづきですから
 生じたということもなく
 なくなるということもありません
 きれいだとか 汚いだとかいうこともありません
 増すことも無く 減ることもありません
 「空」にはそのような
 取るに足りないことはないのです

 私が生み、私が大切に大切に育んだ19キロの綾夏の体は、小さな骨箱に収まってしまったが、綾夏の体を構成していた原子たちは、無くなったわけでなく結合のあり方を変えて永遠に存在する。綾夏が存在した以前もずっとそうであったように。私もまた、亡くなった父もまた。蝶も花も、象もキリンもマンモスもまた同じように。

「私たちは原子からできています。原子は動き回っているために、この物質の世界が成り立っているのです。この宇宙を原子のレベルから見てみましょう。私のいるところは少し原子の密度が高いかもしれません。あなたのいるところも高いでしょう。戸棚のところも原子が密に存在するでしょう。これが宇宙を一元的に見たときの景色です。一面の原子の飛び交っている空間の中に、ところどころ原子が密に存在するところがあるだけです。
 あなたもありません。私もありません。けれどもそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で私たちは錯覚を起こしているのです。」   柳澤桂子氏『生きて死ぬ智慧』あとがきより抜粋