「卒業」

 中原憬氏のHP「愛する人を亡くした人のための100の言葉」には綾夏がなくなってから何度も何度も訪れた。ずたずたの私の心に沁みるいくつもの言葉があった。
48.夭逝した子供達は大人の汚さを知らないまま天使になりました
子供の頃の純粋さ、愛情のストレートな表現、正義感などは、大人になれば失われていくものです。夭折した子供達はこのような世の中の汚れに染まらないで、神の許に召されました。生きていくつらさを味わうことなく、無垢なまま無邪気に生を終えました。それはそれで幸せな人生だったのではないでしょうか。年若く逝った子供ほど、きっと、もうこの世で学ぶことの少なかった輝いた魂の持ち主だったのです。

 綾夏は、511ヶ月の短い命を全力疾走で駆け抜けた、そんな気がする。保育園の先生からも「一所懸命」ということばがぴったりの子だったといわれた。何をするときもいい加減にするということがなかった。そしてそのせいか、何でも上手にすることができた。字を書くこと、絵を描くこと、楽器を演奏すること、踊ったり歌ったりすること、すべてが得意でいつも自信に溢れていた。先生や友達や、家族に愛されて満ち足りているのがよくわかった。
  ただ、唯一、綾夏はとても怖がりで、特に高い遊具に上ったり、鉄棒をしたりということが苦手だった。大好きな保育園に行きたがらない日が週に一度あった。体操教室の日だった。鉄棒やすべり棒やジャングルネットが嫌いで朝、登園前にぐずるようになった。
  しかし、彼女はこれを見事に克服して、旅立った。亡くなる3ヶ月ほど前から原因不明の左手の麻痺がおこった。できていたことができなくなることは、これまでの彼女の人生にはなかったことだったから、どれだけつらかっただろう。最初は泣いていた。しかしまもなくあの子はそれを克服した。先生が「やめておこう」といわれても、「綾はやりたいから先生、左を支えてて」と頼んで跳び箱を跳んだ。握れない手で鉄棒に飛びついた。
  亡くなる前の週には怖かったジャングルネットに「ママ、見てて」と言って昇っていった。左手は手首でロープを巻きつけていた。何もかも上手にこなした綾夏も誇らしいけれど、不自由な手で、どうしても苦手だったことを克服した綾夏が誇らしくてたまらない。綾夏は「もうこの世で学ぶことの少なかった輝いた魂の持ち主だった」に違いない。そして、自分の課題をちゃんとやり遂げて卒業していったのだ。
  綾夏は自分が永く生きないことを本能的にどこかで知っていたかもしれない。だけど、大人のように迷いがなく、それだからこそ、ひたすらに生きたのではないだろうか。いっぱい愛され、いっぱい愛して。私もこんなに人を愛したことはなかった。こんなに愛されたこともなかった。

   「1.あなたがこの悲しみを引き受けることにより、その人はこのつらい悲しみを悲    しむことがなかったのです
     強い絆で結ばれた二人がいたとき、片方が先に旅立ち、片方が残されるのは、こ    の世の宿命です。人は必ず訣れなければならないと運命づけられています。悲しみ    を背負って生きて行かなくてはいけないのは、一人だけです。あなたは愛する人に    この悲しみを味あわせることがなかったのです。」

     人は幸せを求めて生きるけれど、人生の本質は苦であり、不幸である。綾夏はこ    の世生きる者が耐えねばならない多くの悲しみと苦悩を知らずに旅立った。残され    て泣くのが私でよかった。そう思う。