「春は来ない」

 日差しが、さっと部屋に差し込んだとき、まだまだ寒いなかに春が来ようとしていると感じた。「光がきらきらしたから、もう春が来た」と綾が言ったのは一昨年の今頃のことだったか。

 厳しかったこの冬もまもなく終わろうとしている。平野神社の本殿横のしだれ桜も小さな花芽をつけている。この桜の下で花をいっぱいつけた枝をつまんでポーズを取った綾は愛らしかった。あれは去年の春のこと。

 綾が逝った頃、青々と繁っていた葉は、やがて季節の移ろいの中で葉を染め、土に還り、木々は死んだように冬を過ごした。なのに、木々はまもなく、一斉に芽吹くのだ。つややかな新芽が、やさしい花びらが今か今かと、時を待っている。

細い背中に大きなランドセルを背負った綾が、小学校に入学するはずだった2003年の春が、もうすぐそこなのに、あの子はいない。季節が幾たび廻ろうとも、あの子だけはもう二度と戻ってくることがない。私は綾とすごした6回の春の思い出を反芻している。私にはもうこの先、新たな春は来ないから。