「なぜ私だけがこんな不幸に・・・と嘆く自分に」


人だけでなく、この世に生きる者すべては、偶然をも含む大きな意思という意味での神に与えられた環境で生きるしかない。迷うことはない。比べることもない。

実家の石段に腰掛けて、祖母が道を箒で掃くのを見ていた、まだ、小学校にもあがらない頃。祖母はアスファルトの隙間に生えた小さくもたくましい雑草を、決して抜こうとはしなかった。「こんなとこからでも、生えんのやなぁ。」と言った。その雑草が小さな花をつけたのを見て「こんなとこでも、咲かんならんと思て咲いたんやで」といとおしそうにつぶやいた。

やわらかい土の上に落ちた種をうらやみもせず、ただ、平等に降り注ぐ太陽の光と雨の恵みを一身に受け、与えられた生命をひたすらに生きる。それでいいじゃないか。それで十分じゃないか。足元の雑草も虫もからすも野良猫もみんなそうして生きている。だけど、他のどの生き物より「偉い」はずの人間には、これが、なかなかどうして大変だ。

与えられた物を喜び、足るを知る。失ったものを数えず、得たものに感謝する。そんなことができれば人間も一人前というものか。

過去に縛られず、未来にわずらわされず、今を生きればそれでいい。それができれば言うこともない。