「2003年の銀杏」
綾夏がいないというのに、母親の私は自分の半分を無くした痛みにのたうちまわりながら、2度目の秋を迎えてしまった。あれから400回以上の朝を迎えたというのに、まだ、傍らに柔らかい綾夏が眠っていないことが信じられない愚か者は、朝のたびに絶望を新たにする。
色づく気配を見せる大学前の銀杏の木、東西に並んでいる。2001年11月、5歳の綾夏は、登園途中、この木の下でまだ葉の青い木が残っているのを見て言った。「ママ、この木は、綾たちが保育園で『真っ赤な秋』を歌うのが聞こえなかったんかな。今日は聞こえるようにもっと大きな声で歌って来る」。たしかに保育園から遠い木の葉がまだ色づいていなかった。
園児たちが口をまん丸に開けて歌う姿と、歌声が光の波となって銀杏の木に届き青い葉が金色(こんじき)に染まる情景が心に浮かび、私は綾夏の豊かな発想に深い幸福感を覚えた。あれが、綾夏との最後の秋だった。
生後3ヶ月の綾を抱いて、堀川上立売の歩道橋に上がると、堀川通の銀杏並木は息を呑むような美しさだった。背中に秋の日差しが暖かく、胸には綾夏のぬくもりがあった。
あんよが上手になった1歳の頃、11月の京都御所は銀杏が堂々と主役の座を占めていた。黄色い落ち葉を腕いっぱいに抱えて綾の上に降らせると綾のけたたましい笑い声が澄んだ空気を振るわせた。
七五三。髪を結い、赤い絞りの着物を着た小さい綾夏の姿に、一心にその健康と幸せを祈った護王神社の境内にも銀杏の葉が舞っていた。
年中さんの頃の綾は、綺麗な葉っぱを拾うのが大好きだった。小さな葉っぱは綾夏、中くらいのはママ、大きいのはパパだと言った。お気に入りの綺麗なのは「ママにプレゼント」とくれたけど、毎日のことだったから、これからもずっともらえると思ってしまい、私はバッグに入れっぱなしにして、そのままパラパラと葉は崩れて、バッグの底で粉になった。今、葉っぱの切れ端をバッグに見つけて泣いている。人は別れるとき、これが一緒にできる最後のそれであるとは気づかないものなのだ。
綾と過ごした日々は私の人生のほんの一部だったのに、綾夏の生まれる前の銀杏の風景が思い出せない。綾を亡くした去年は、カウンセラーのお宅の庭で青空を突き刺すように立っていた銀杏の光景。青と黄色の鮮烈なコントラストの美しさがやけに空々しく、虚しかった。
私にとって最後に見る銀杏はいつになるのだろう。私はそれを最後と知らずに見るのだろう。それはもしかしたら、2003年の銀杏かもしれないと思うと、散るために今、色づこうとするその姿はしみじみと目に映る。