「小さな花が開くように」

自分には生きる価値も意味もないと思ってしまうとき、江原啓之さんのことばをいつも反芻する。人は生きる価値があるから生きるのではなく、生きることに価値があるのだと。この世に居場所を失った私はこの言葉に何度も救われている。
  砂漠にも咲く花があるように、私の毎日にも、心に小さな花がそっと開くような言葉に出会うことがある。

*神よ、私にお授けください
変えられないことを受容する度量を。
変えられることを変える勇気を。
そして、その両者の違いを知る叡智を。
                         (ラインホールド・ニーバー)
*生きなさい。ふり返っていのちを無駄にしたと後悔しないように。
生きなさい。してきたことを悔やみ、別の生き方を望むことのないように。
正直で十分な人生を生きなさい。
*ほんの短いあいだだけ咲く花もあります。春が来たことを知らせ、希望があることを知らせる花だから、みんなからたいせつにされ、愛される花です。そして、その花は枯れます。でもその花は、やらなければならないことを、ちゃんとやりおえたのです

                                   (エリザベス・キュープラー・ロス)

*人間は大宇宙の一環であると同時に、それ自体が小宇宙です。すなわち人間は大自然の中の一存在であり、また人間の存在自体が大自然そのものです。したがって人間は大自然のあり方に背いて生きていくことはできません。大自然と調和し、自分自身の中の自然を見つめ、自然に生きるべきなのです。
 自然は常に前向きで、ポジティブです。木は、たとえ切られても芽を出そうとするし、条件の悪さにくよくよしない。人間も自然に生きるということは、前向きに生きるということです。人間も、その体は、あくまでもプラス思考なのです
*体は確かに昨日より今日が老いていくが、今日は今までの自分の人生の中で一番経験豊かです。                      (現在通っている漢方の学校の先生)

*今しか生きられない人間にとって、これからの「人生」とは、今日から明日に向かって生きることに他ならない。過去は確かに記憶の中にあって今にたどり着いているが、その中ではいつも「今の自分」が最年長だ。しかし人生が明日へと続くとすれば「今の自分」が常にこれからの人生で一番若いということになるではないか。
 人は自分の年齢をどう考えているかで、生き方が違っているように見える。「若いころは」「昔は」といった言葉で語られる多くは、たどり着いてしまった人生を見せられる気がする。今を懸命に生きるということが、明日もう少しましな自分に会うためということであれば、一番若い自分がもう年だから・・・ではつまらないではないか?
                                    (尾崎幸博氏:NTT西日本取締役)

*人間こそ安全にあぐらをかいて、余暇時間なんて言ってるけど、動物は、本来動き続けるものだよ、外敵にも襲われる心配もあるし、忙しくして最後力つきて死ぬんだよ、それでいいんだよ、もくもくとね、わき目もふらず動くんだよ、そして一人残らず寿命がくれば死ぬ、みんな死ぬんだよ、誰一人として死なない人などいない。倫ちゃんも、私もマラソンランナーだよ、時々給水しながら、また走り続ける、そう今年もお互い走ろう!息を凝らしてもくもくと、頭は無、唯地面を見つめて1歩づつ   (Tちゃんの手紙)

*いつの日か、自分がこの世を去るその瞬間に、「ああ、あの時死んでしまわなくてよかった」と思えるようだったらいいなと、思うだけです。(Hさんの手紙)

*明日のことを思い煩ってはならない。野の花がどのように育つかをよく見なさい。

(マタイによる福音63428