「愛の連鎖」
今、私が死んで、神さまの前に進み出て「どのような人生だったか」と問われれば、私は何の迷いもなく答えるだろう。「幸せな人生でした」と。綾夏との予期せぬ別れの悲しみを差し引いてもなお、余りある、幸せを私は味わうことができた。綾夏と出会わなければ私は生きることの本当の喜びも悲しみも知らなかった。この先、たった一人、路傍で朽ち果てるような人生を送ることになろうとも、私は微笑を浮かべて死んで行こう。
綾夏は宝物だった。私は、綾夏と出会うまで、自分より大事な他人の存在を知らなかった。世の中に存在する美しいもの、喜び、善なるものをすべてあの子に与えたいと思い、あの子が人生において味わうかもしれないすべての悲しみも苦痛も私が代わりたいと素直に思えた。
あんな風に、綾夏を愛せたのは、私が生まれつき母性愛溢れる人格の持ち主であったからではない。それは、私自身が、同じように両親に愛されて育ったからだ。そして、また、両親が私を愛情一杯に育ててくれたのは、祖父母をはじめとする両親の周りの人たちが、両親を愛し慈しんで育てたからだ。両親、祖父母、曽祖父母・・・この縦につながる愛の連鎖は先祖までさかのぼっていくのかもしれない。
愛されて育った子は、その子供を同じように愛して育てることができる。そして、周りの人に愛を与えることが出来る。たとえ、人生の困難に見舞われたときにも、一旦は自暴自棄になっても、自己肯定感を持ちいつかは自分の人生を抱きしめることができる。
私はもう、愛の連鎖を次の世代につなぐことは出来なくなったが、子供を持つすべての人たちが子供を愛し、慈しみ、その気持ちを次の世代につなげていってほしいと願う。
近所に騒音を撒き散らして罵り声を上げ続けた騒音おばさん、少年を車で轢いて連れ去って山道に放置した男。両方とも子供を亡くしている人だと知った。彼ら、彼女からの行動は、決して許されることではないけれど、子供を亡くした親の心は壊れてしまう。そのことは私にもわかる。あの子のいなくなった世界なんて砕け散ればいい、あの子を守れなかった私なんか死んでしまえ、そう思う。でも、その思いにとらわれたまま、自滅していく姿を、亡くした子供には見せたくない。
子供を失うという過酷な経験をして、なお、いや、それゆえに、一層、深い愛を人に与えることのできる人もいる。そんな人に、私は何人か出会ってきた。愛の連鎖は縦だけでない、横にもつなげられる。憎しみでなく、愛することの鎖をつなぎたい。
未来を思うことはないが、素晴らしい愛に満ちた日々は確かにあったのだ。私は愛して、愛されて、そしてそのつながりの中に、今、ここに在るのだ。
7月17日、綾夏の10回目の誕生日。綾夏に、そして私につながるすべてに、「ありがとう」と言おう。