「手」

バスに並んで座った女子大学生の手。爪を彩ることもリングで飾ることもないその手の、美しさに、思わず目をとめる。きめが整った、石鹸のような滑らかな肌。白い肌の下に薄蒼い血管が少し透き通って見える。指の関節は伸ばしたときですら、そこが関節であることを忘れたかのように、皺をとどめることがない。滑らかに張りのある肌は、白いシャツの中に伸びる腕に、そのまま続いていく。
  彼女は、この美しい手を自分が持っていることの幸せを知らない。この若さを当たり前のように受け止めて、秋の日差しの中、うとうととまどろんでいる。

 かつては、私もこういう手をしていたのだ。どんなにどんなに求めても得られないものがあるのも知らずに、守ろうとしても守りきれないことがあることも知らずに、親も、恋人も、友達も、神様も、私が欲しがるものを与え続けてくれるものだと信じながら、無邪気に生きていたのだ。

 滑らかに伸びた腕をウエディングドレスに通し、それから2年後に出産し、産院で助産婦さんに言われて長く伸ばしていた爪を切り、恐る恐る赤ちゃんを抱いた。
  そして、オムツを替え、洗濯物をし、食事を作り、パソコンを叩き、書類をめくり、その繰り返しの毎日の中で、自分の手を見つめることもなく、あわただしい日々を過ごした。
 小さな綾夏はいつも私の手を求めた。お互いの手を見なくても、私たちは同時に手を伸ばしあい、お互いの手を見つけた。最後の日もまた、私たちは手をつないで、保育園に向う坂を上がった。そして、3日後に、私はその手であの子の骨を拾ったのだ。
 綾夏の小さな、柔らかい手。これからもっといろんなものを掴んだはずの手。あの日から、私にはつなぐ手をなくしたまま、しばしば、自分の手を見つめる。爪の形も小さなホクロもそのまま、子供の頃から見慣れた自分の手なのに、いつの間にか、違った手になった。きめが粗くなり、節が高くなり、手の甲に血管が浮き出してきた。
 私の手から幸せは滑り落ち、老いだけが虚しく私の手に積もっていく。
 すべてをなし終えて、私が逝くことを許されるときまで、私は幾度、この手で涙をぬぐうのだろうか。