「虚しいという戯言」

昨日、大阪梅田の、イタリアンレストランで食事をした。趣向を凝らした数々の料理と、すっきりしたイタリアらしい白ワイン、行き届いたサービスは快適で、私は十分に満足していた。しかし、自分が満足であることを、言葉にしようとした次の瞬間、私の胸には言いようのない虚しさが広がった。いつもそうなのだ。
 「楽しいはずのことをしていても、心からそれを楽しめなくなった。いつも虚しくて、寂しくてたまらない。」私はため息をつきながら向かいに座る夫に言った。壁に掲げられた来月のクリスマスディナーの案内を目の端にして、「あの子のいないこの世界に、今年も生き長らえてしまった」と言いながら、フォークでサーモンをつついた。

 命を捧げてくれた鮭も、牛も、野菜たちも、こんな会話をしながら食べられるのは、さぞ、不本意なことだろう。それは、彼らの命に対する冒とくというものだ。
  私は知っている。私には、寒さをしのぐ家があり、服がある。そして、お腹いっぱい食べられる。私の体は、どこも痛むことなく、四肢は思うように動かすことができる。月曜日がくれば幸いなことにうんざりする仕事が待っている。
  だから、虚しいのだ。病気や飢えや失業に苦しんでいれば、私は虚しさを感じる余裕などないはずだ。

 食事を終えて買い物に向かう交差点の片隅で、ビッグイシュー*を売るおじさんは綺麗に髭をそって、背筋を伸ばして立っている。暖かすぎるレストランから出てきた私の手のひらに、おじさんの指とおつりの100円玉は冷たい。

 私は何をするべきなのか。不本意であろうとなんであろうと、他者の命の上に今日も生き、自分は虚しいなどとふざけた戯言を言っている暇があれば、私は何をするべきなのか。


* 『ビッグイシュー』は英国で大成功し世界(28の国、55の都市・地域)に広がっている、ホームレスの人しか売り手になれない魅力的な雑誌のことです。ビッグイシューの使命はホームレスの人たちの救済(チャリティ)ではなく彼らの仕事をつくることにあります。 例えば大阪の野宿生活者の約8割は働いており、過半数の人は仕事をして自立したいと思っています。『ビッグイシュー日本版』は彼らが働くことで収入を得る機会を提供します。具体的に、最初は一冊200円の雑誌を10冊無料で受け取り、この売り上げ2,000円を元手に、以後は定価の45%(90円)で仕入れた雑誌を販売、55%(110円)を販売者の収入とします。(HPより抜粋)