1月雑感」

 私はいつもイライラしている。私はいつも何かに不満だ。今の私は、綾夏が元気でいてくれればそれだけでいいと思っているが、綾夏が元気でいたときに、私が満たされていたかというとそうではない。私はいつも心急いていた。

 私は綾夏に一日、何度「早く」と言っただろう。「早く起きなさい」「早くご飯を食べなさい」「早く行くよ」・・・早く、早くと急がす、その時間の先に、別れが待っていたとも知らずに。

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  綾夏は、不二家のイチゴのケーキが好きだった。ペコちゃんの真似してちょろっと舌を出した りしておどけていた。

 その不二家で、消費期限切れの材料を使っていたらしい。その行為は許されることではないが、ふと、消費期限や、賞味期限ってなんだろうと思ってみたりする。
  野菜は野菜として売られている限り、消費期限はないが、その野菜を使ったお惣菜になれば消費期限が生じる。家で作ったおかずが、まだ傷んでいないかどうか、祖母は、ちょっと匂いでみたり、舐めてみたりして判断していた。
  食べ物の生産の過程は、私たちの目から見えなくなった。食べ物は、様々な添加物を加えられ、加工された大量生産の工場製品となった。そして、私たちは自分の五感で判断しなくなり、消費期限のシールで判断するようになった。しかし、何月何日何時で、消費期限の来た食べ物が、その時刻を持って食べられなくなったのではないことを私たちは知っている。ただ、その商品は価値をなくして、ゴミ箱に捨てられることになり、そうすることが誠実な店のやり方なのだ。 生産過程のブラックボックスの中では、不二家と同様のことが他でも起こっているのかもしれない。

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 不安定雇用労働者の増加の中で、働いているのに生活することが困難な層が生じ、「ワーキングプア」と呼ばれるらしい。私は正社員で、一定の収入はある自分もまた、「ワーキングプア」だと思う。暗いうちから起きて、長時間、混んだ乗り物を乗り継ぎながら職場にたどり着き、昼食も仕事をしながらせかせかと済ませ、一日中仕事に終われ、遅く家にたどりつけば、食べて、シャワーして寝るだけ。今、何がしたいと聞かれれば、「ゆっくり寝たい」と言うけれど、進まない仕事の段取りが頭から離れずイライラしてぐっすり熟睡することもできていない。
 布団を太陽に干すこと、ゆっくりと煮物を作ること、土日以外に新鮮な野菜を買えること、そういう暮らしができることが、今の私が望む豊かな暮らし。
  私の人生は私の望まない方向に、転がっていく。

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冬のどんよりした空の下で、寒風にはためく、我が家の物干しの洗濯物は哀しい。この物干しも、あの頃はお花畑みたいだった。ピンクや赤の花やハート、ミッキーやプーさんの服やタオルが楽しそうに、風に踊っていた。

老人の多いこの町の、ほとんどの物干しは静かで寂しいが、3軒隣の男の子のいる家の物干しは、ヒーローたちが風に舞い、男の子たちのように賑やかだ。
 綾夏よりも
3つ下だった男の子のシャツや靴は、いつしか、綾夏のよりずっと大きくなってしまった。