「綾夏と共に生きる」

 私が綾夏と暮らした日々が豊かであったから、綾夏は、感性豊かで、知ることが好きで、学ぶことが好きな子に育っていると、ある人から、そんな言葉をいただいた。
 私が、綾夏を育ててきたことは決して無になってしまったのではない、私が育てた「感性豊かで、知ることが好きで、学ぶことが好き」な綾夏の魂は、今も育ち続けているのだという思いに至り、心が揺さぶられるような感動を覚えた。
  この世に、魂を磨き、向上するためにやってくるのが人間だとしたら、この世で、経験した愛と学びが死によって無に帰するはずはない。この世での経験があったからこそ、その学びを基にして今も綾夏の魂が存在するのだ。
  同時に綾夏によって育てられた私の魂を、私は豊かに育てていかなければならない。綾夏がいることで、私が学べた多くのことを、私は無駄にしてはいけない。それが今も綾夏と共に生きること。

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 人生は、幸せよりも、苦しみのほうがずっと多いと、子どもの頃から、思っていた。しかし、それは、人は幸せにはすぐ慣れて、幸せな状態が当たり前になってしまうからなのではないか。大学や就職試験に合格して躍り上がって喜んだのもつかの間、それが当たり前になれば、大学や会社の不満ばかりが目に付いてしまう。病気の回復や、恋愛、結婚にして充足されれば、そのとき得た幸せが当たり前の水準になって、今度はそれ以上を求め、それが充足されないことで不幸になる。一方、苦労や不幸は、なかなか当たり前にはならず、ずっと苦労として抱き続けてしまう。
  ちょっと視点を変えて見てみれば、自分の周りの当たり前のことに、ふわっと感謝の気持ちが湧いてきたりする。