「Nちゃん」
「よいお年を」と口にして、帰っていく人を見送って、今年ももう暮れることに気付いた。昨日の営みが今日に繋がって、今日の営みが明日に繋がって、そして今年の営みが来年に繋がっていく。多くの場合そうなのだが、ある日、すべてが一瞬にして終わってしまうことがある。未来を夢見て着実に積み重ねてきた営みが、何の予告もなく、突然に意味を持たなくなる瞬間がある。
あのことがなければ、今もあの日々が繋がっていたら、私は、綾夏と一緒にどんなクリスマスを迎えようとしていただろう。
2002年12月のクリスマス。綾夏を亡くして初めてのクリスマス。カウンセラーは、綾夏とそして、私自身のためにクリスマスツリーを飾るようにと言った。仏壇の前に飾ったツリー。あれが最後のツリーだったか。今年も、街がイルミネーションで彩られるが、私は異界のできごとのようにそれを眺め、思いを馳せるのは、この喧騒の中に取り残される人たちのこと。
12月初旬、スーパーマーケットで夫がNちゃんのママに5年ぶりに会った。Nちゃんは、綾夏の大親友だった。保育園で1歳に満たないころから、Nちゃんと綾夏は一緒に育った。喧嘩もすごかったけれど、二人の仲には誰も入れない深い絆があった。綾夏が逝ったとき、Nちゃんは大きく口を開け、全身で泣いていた。小学校にあがってからも、Nちゃんは綾夏の写真を持って小学校に行き、綾夏のかばんを愛用してくれていたという。でも、私はあれからNちゃんに会ったことはない。会えなかった。Nちゃんの成長を見ることができなかった。
スーパーマーケットで、以前よりずっと痩せたNちゃんのママは、つい最近、離婚したと夫に告げた。Nちゃんの二人の弟たちはママに引き取られ、Nちゃんはパパと一緒に引っ越したという。Nちゃんは綾夏のことがいつまでも心に残るのか、あれ以来、綾夏のように仲のいい友達ができないらしい。天真爛漫なNちゃんの笑顔、そしていつも仲良しだった家族たちの姿が眼に浮かぶ。
Nちゃんと会わなくなって5年。Nちゃんの両親の間に何があったのかはわからない。悲しみも、苦しみも知らず、家族や先生たちの愛の中で生きていた子供たちのうえに、この世で生きることの現実が降りかかる。みんな、みんな、そうなのだ。綾夏が逝って5年、どの子も笑顔だけで過ごしてこられたはずもない。この苦悩に満ちた世の中で、それでも子供たちには、生きていく力を得て欲しい。
「綾夏さえいてくれたら」と泣くのは私だけでなく、Nちゃんにもそんな夜が何度もあったのかもしれない。今年のクリスマス、Nちゃんが寂しくないように、綾夏が寄り添っていてあげてほしい。