「記憶」

どんなに深い心の傷も、時の流れが癒してくれるのだという言葉を何度も聞いた。あれから6年近くが経ち、日々心身を削るような仕事に追われる中で、鋭利な刃物を胸に突き立てられるような悲しみは薄らいできたかもしれない。それに代わって、どこまでも落ちていきそうな深い虚無の暗闇が私を包む。

あの輝いていた日々に、そして綾夏に会いたいのに、私はアルバムを開けることができない。ビデオテープが劣化するのを恐れて、DVDに綾夏の映像を取り込んでもらったのに、それを見ることができない。部屋にいくつも置いている綾夏の写真は見慣れていても、私の記憶に折りたたまれた綾夏の生き生きとした姿を見、声を聞くことで、自分が動揺してどうなるかわからないことが怖い。

写真も、ビデオテープも無かった時代には、過去は時の流れの中に自然に溶けて風化していったのだろう。

「未来デザイナーの美崎薫さんは『記憶する住宅』と名づけた自宅に、これまで体験した出来事の記録、読んだ本、撮影した写真などを保存し、コンピュータで検索できるようにしている。(中略)さらに自分で撮影した30万枚を超える写真や資料を机の傍らの画面に2秒に1枚、スライドショーとして映し続けるという生活をした。その結果どうなったか。美崎さんは、『過去がなくなった』と言う。繰り返し見ることで10年前の旅行の写真も先週の旅行もどちらも同じように鮮烈に記憶され、どちらも『今の延長』となったからだろう。個々のエピソードの詳細が喪われることで体験が次第に一般化され過去の記憶になるというのが心理学の定説だった、それが現在では、具体的なエピソードのまま残せ、いつでも取り出せる。(中略)私たちも『忘れられない時代』にいる。」
(「人と物の心理学K」野島久雄氏 『朝日新聞』)

 緑が日に日に濃くなり、季節はまたあの7月に向う。それに気付かないように遮光カーテンをぴたりと閉め、パソコンに綾夏との日々をスライドショーで流し続けなから、人生を終えるという甘美な妄想に浸ってみたりする。