「鞍馬温泉にて」

 私が、疲れたときに、訪れたくなるのが、鞍馬温泉。12月6日に、1年以上取り組んできた大きな仕事が一段落着いて、ちょっと虚脱感を覚えていた先週。自分を癒すために一人で鞍馬温泉に向った。

 家からタクシーに乗って出町柳駅まで15分。そこから叡山電鉄に乗って30分。2両編成の小さな電車は民家の間を走りはじめ、やがて山間を縫うように走る。先月にはその鮮やかさに観光客が歓声を上げたであろう楓には、もうその名残もなく、冷たい風が梢を渡る。終点の鞍馬駅を降りると大きな鞍馬天狗の面が飾られているが、12月に入ると観光客もめっきりと減って、木の芽和えを売るみやげ物屋も営業はしているものの、冷たい北風を避けてガラス戸を閉めている。
 鞍馬駅から送迎のマイクロバスに乗って5分もすれば、鞍馬温泉に着く。

 ここでのお薦めは、食事と温泉の日帰りセットだ。まずは、昼食を予約し、浴衣やタオルのセットを受け取って、露天風呂に向う。露天風呂のあとは、湯葉鍋と釜飯、お刺身等の食事。ほてった体に心地よい冷えたビール。2階の畳敷きの休憩室で、備え付けの布団とタオルケットで横になって、雑誌や新聞を拾い読みしながらうとうと。目覚めればちょっとけだるい体を、屋内大浴場の気泡風呂でリフレッシュ。仕上げに電動マッサージ機で体をほぐす。この調子で朝から夕方までのんびりして4800円。観光に来る人は露天風呂だけ入ることが多いようだが露天風呂だけでは割高な気がする。シーズンオフに一日楽しむつもりで来るのがいい。夏には、急な流れの上にせり出すように設けられた川床での昼食をセットにすることもできる。

 「寒い〜」と一人言を言いながら、冷えた体を露天風呂の温かい湯に沈める。たちまち、体がほぐれていく、心がほどけていく。雲の隙間から射す冬の日は弱い。名前はわからないが、体が白と黒で、尾の黒くて長い小鳥が数羽、さえずりながら忙しそうに梢を行き来している。赤茶けたもみじの葉が、湯の隅に浮いている。山が近い。遠くの山は時雨れているのかもしれない。山頂が靄のように見える。

 大地から沸きだす湯に抱かれて、四肢を伸ばす。湯の中の自分の体は、自宅の風呂場の電灯の下で見るのとは違って見える。足も腕も胸も何だか白く、頼りなく湯の中に揺れている。私はもう若くない。肉はふわふわと骨から離れて、私の思いを裏切ろうとする。しかしそれも自然。形あるものを人は誰も真に所有することはできない。それは自分の体であっても。
 
死別も病も老いも、それは自然なことであり、なにも特別なことではない。幼くして亡くなる者もあれば長生きする者もあるが、それもまた自然であり、すべては死という安らぎの中に帰る。この肉体はひと時の魂の容れ物。

もうすぐ今年も暮れて行く。ひがまない。愚痴らない。形あるものにとらわれない。執着しない。今在ることを生きよう。