「そしてまた、母のこと」

 朝日新聞に、作家の落合恵子さんの「大丈夫」というエッセイが載っていた。おかあさんの介護をしながら仕事をしていた落合さんは、常に携帯電話でおかあさんと連絡を取っていたという。

 「母の電話への出方も、介護が続いた7年間の間で徐々に変わっていった。母の部屋に電話すると、本人が直接受話器を取った日々があった。
 『大丈夫よ。あなたこそ、気をつけてね』心配されている母親のほうが、娘のことを案じていた。
 やがて母の代わりに誰かが受話器をとって、母の耳に当ててくれる日々がやってきた。すぐそばに子機を置いてはいるものの、それを反射的に『とる』という動作が難しくなっていった頃である。それでもわたしの声に母は返事をしてくれた。『大丈夫よ』も同じだった。
 いつだって、『大丈夫よ』だった。
 その長い人生で、『大丈夫』でない時こそ、母たちの世代は『大丈夫よ』を唇にのせて乗り越えてきたのだろう。」(「大丈夫」より抜粋)

 そして、落合さんのおかあさんの電話での会話には、意味不明の言葉が混じるようになり、やがて、返事は微かな息遣いになった。
 おかあさんを見送って2度目の春を迎えて、落合さんは、おかあさんの部屋に電話すればあの「大丈夫」を聞けるのではないかと一瞬思ったりする。

 結婚して実家を離れて14年。私は母に泣き言を言う。忙しい、しんどい、寂しい・・・
母は、いつも励ましてくれる。そして私の頑張りを褒めてくれる。
  14年間、母は一度も私に「来てくれ」と言ったことがない。
 「週末には、そっちへ行こうか?」と聞くと「来なくていい。忙しいのだから、ゆっくり休みなさない」と言う。
 「週末には、そっちへ行くわ」というと、私に持って帰らせるものを紙袋に沢山詰めて、楽しみにして待っている。なのに、私は紙袋の中身を見て、「こんなの使わないわ」とか、「これ、賞味期限が切れてるよ」などと言ってしまうのだ。気付かない振りして「ありがとう」と喜んで持って帰ればいいものを!

  私も母に何度もこの言葉をかけてきた。「大丈夫?」そして同じ返事しか聞いたことがない。「うん、大丈夫」

気が付けば、私もまた、綾夏の仏壇の前で、語りかけている。泣いていても、辛くても、「ママは、大丈夫だよ」と。