岐阜県、恵那峡にて1泊。ホテルの客室からも美しい緑と水の風景が一望できた。
 ここは、大正13年、電力王『福沢桃介』が木曽川の激しい流れをせき止めて造りあげた日本初のダム式発電所「大井ダム」によって誕生した、流れ静かな人造湖とのこと。
 


 愛知県、湯谷温泉にて1泊。山間を宿を探して車で走っていて、思わず見逃してしまったくらい静かな温泉郷。以前は泊り客も多かったのだろうか。今は、観光客もほとんど見かけず、川を隔てた大きなホテルは古びて、夜も明かりのつく部屋は少ない。

 旅館を出て、川沿いを散歩する。夏を惜しむセミの声と岩を落ちる川音。湿った山土の匂い。

 夕食の配膳に来てくれた旅館の娘さんは高校生らしい。川と緑の素晴らしいことを褒めると、いろいろと話をしてくれた。
 この激流に地元の子供たちが橋から飛び込んで泳ぐこと。川には、流れが底に向かって渦巻いているところがあって、そこには絶対近づいてはいけない、そこに巻き込まれるとそのままあがって来れないし、今も沈んだままの遺体があるのだと親から聞いていること・・・
 もし、泳いでいるときにおぼれたら、もがかずに、流れに身を任せること、そうしていると、必ず浅いところに来るから、そのときを逃さずに、すっと水面に顔を近づけること・・・
 ここの川の源流を確かめようと何時間も山をのぼり、川をたどったときのこと。山は次第に深く、暗くなり、野猿の頭蓋骨が人間のそれのような形で残っていたとのこと。源流は、あまりにも澄んでいて魚も住めないこと・・・
 このあたりにも蛍は見られるが、蛍を見るならとっておきの場所があって、そこでは大きな蛍が乱舞すること・・・
 しゃべりすぎたことをはにかむ娘さんだったが、こんな話が何より旅のもてなしにだと思う。清流と山の気を吸って育った彼女は素直で身も心も健康に見えた。
 妻籠宿に立ち寄った。ここは、高校3年生の3月、進学先も決まって卒業旅行にクラスメート4人で来た思い出がある。3月の妻籠は思ったよりもずっとずっと寒かった。宿の暖房は弱く、朝起きたら、近所の水車が凍りついてツララがぶら下がっていた。
 
 夏の妻籠はあのときよりもすっとにぎやかだった。信州そばと柿羊羹をお土産に買い、店先でお団子を食べた。

 大学に行ってしばらくは、会っていたあのときの仲良し4人組も、いつの間にか会うことがなくなった。あのとき、進学を前に希望に満ち、ともに夢を語り合った彼女らは今はどんな人生を歩いているのだろうか。
 変わらない妻籠の景色にそんなことを思った。