「僕とあたしの未来 45」



今日も人ごみの中、乗り遅れないようにと急ぐ。
すれ違う人に、なぜか懐かしい影を見たような気がして、思わず振り返る。
行き過ぎるたくさんの背中に、「気のせいか・・・」と前を向いて、
あたしはまた歩き出す。

社会人になって早6年、リクルートスーツに身を包んだ就活生の姿を見て、
懐かしいとさえ思えるようになってしまった。


特に変わり映えしない毎日に、ちょっとは花を添えたいと始めた金曜日の習い事。
彼氏がいるわけでもないのに、あたしが料理を習うなんて、もはやこの世の終わりか?
でもクッキングスクールでちょっと会話が弾んで、ほんの少し親しくなった子もいる。
何もしないで過ごしているよりはよっぽどいい。

今日のメニューはなんだったっけな。
テキストをめくっていると、親しくなった例の彼女がやってきた。

「久しぶりー。あのね、今日はご紹介ってことで友達連れてきたんだ」
「そう」
「男なのに料理習ってみたいんだって」
「へぇ。珍しいね」
「こんにちは」

挨拶した男の人の方をあたしは見た。一瞬、何かが呼び戻される気がした。
彼女に名前を紹介されて、それは確信に変わった。

「お友達なの?」
あたしは彼女に思わず訊いた。
「うん、会社の仲間。みんなでわいわい集まるのが好きなんだけど、さすがに
 料理習いたいって言う男の子は他にいなかったから」
「そうなんだ・・・」
「やっぱり男でそういうの変ですか?」
彼がたずねるから、あたしは「いいえ」と笑って答えた。


彼は君。紛れもなくあの時の君だ。君はあたしに気づいてないの?
10年前の記憶が一気に呼び戻される。



あれはあたしが18歳の時、台風のせいで大学の講義が休講になった日。
台風一過で時々晴れ間も出たりして、天候は回復していた。

「やっぱり休講かぁ」
男の子が掲示板を見てつぶやき、校門を出て行った。

あたしもふと海を見に行きたくなり、心なしか軽いステップで歩き出した。

気づけば、男の子とあたしは、同じ電車に乗り、同じ駅で降り、同じ方向に向かって
歩いていた。
海の香りがする。あたしはスニーカーも靴下も脱いで、裸足で砂浜を歩く。


台風のあとの濁った色の海を、湿り気を帯びた砂の上で、あたしは見ていた。
いつの間にか、男の子・・・君が、あたしの斜め後ろにすわっていた。

「波見てると飽きないね」
君が口にした。
「波の音聴くと、こころが落ち着く感じがする」
あたしは答えた。


太陽が沈み、暮れゆくモーブ色の空の色が青く変わってゆくまで、ただただ
静かに見ていた。

「そうだ、せっかくだから花火やらない?」君が言うから、
「うん、いいね〜」とあたしは答えた。

近くのコンビニで花火を買ってきて、袋から1本ずつ出して、君がライターで
火をつける。

次々に放たれる光。あじさいのように変化する色。光が映った君の瞳は、
きらきらしていた。

最後の1本が終わった時、なんだか急に淋しい気持ちになった。

君と並んで砂浜にすわっていると、ふと君と目が合って・・・そっとキスをした。
なんでなんだろう?どうしてなんだろう?わからないけどそうしてた。
だからよけい、帰りの電車の中で無口になった。

乗客がほとんどいない電車の中で、言葉を交わす代わりに、君はあたしの手を取り、
あたしの手のひらに何か文字を書きかけた。

すると突然ヤンキーたちが乗ってきて、君とあたしをじろじろ見てふっと笑ったから、
素知らぬ顔をして、そのまま手を離してしまった。

ねぇ、いったい何て書こうとしたの?

短いけど楽しくてちょっぴり切なく愛しかった、たった一度の君と過ごした時間。

その君が今、あたしの目の前にいる。



女子力いっぱいの彼女の横で笑う君。彼女とはただの友達なの?
あの日、あたしの横にいたのは君なのに、月日は少しずつ人の顔も姿も変えてしまう。
君はあたしに気づいていない・・・。


ずっと気持ちが別のとこに行ってて、料理中も身が入らなかった。
「痛っ!」ってちょこっと指切って、「指切るなんて珍しくない?」って言われた。
でも痛いのは指先じゃなくて、胸の方だった。

「それじゃ」と、彼女の横で微笑む君が、切なく見えてたまらなかった。



月2回、金曜日の夜が楽しみなのに怖い。
彼女に会うだけでも怖いのに、あれから君は、毎回休まずクッキングスクールに
通ってくる。

何もかもが真っ白だった去年の夏が、少し懐かしく感じる。
頭の中が君のことで埋め尽くされ、心のスケジュール帳は真っ黒になってしまった。



「最近、なんかあんまり元気ないけど、なんかあったの?」
バーゲンに出かけ、ランチを食べてた時、友達が訊いてきた。
「別に」って笑って答えたけれど、友達には何かわかってしまったみたいで、
「ほら、あそこ行こ!」と、駅ビルに飾ってある七夕飾りのとこに、あたしを
連れて行った。

「よしっ!今年もお願いするんだぁ☆お願いできるチャンスは逃さないっ!!」
「なにをお願いしてるの?」
「決まってるじゃない!恋愛成就よ☆彡ほら、あんたも書いて書いて!!」
「う・・ん・・・」

友達の言葉に勇気づけられた気がして、あたしも本心を書いた。

☆☆☆どうか君があたしに気づきますように☆☆☆

「今日は七夕じゃん!きっと効くよ〜♪」
友達はうれしそうに笑った。


この先どうなって行こうとも、あたしは思い出せたこの気持ちを大切にしていこう。
友達が言ってた、「切なくて泣きたくなることもたくさんあるけど、それ以上に、
好きな人のことを考えていられることが、なにより幸せだから」と。



また次の金曜日がやってきた。あたしはいつもより少しだけおしゃれしてみた。
雑誌に載ってた、アイシャドー軽めに使って、ちょっと目にポイントをおいて。
風に揺れるシフォンのスカートが、女子力をUPさせてくれてるかな。

クッキングスクールに行くと、いつもの彼女は来ていなかった。
代わりに「こんにちは」と君が近づいてきて言った。
「こんにちは」とあたしも答える。

大丈夫?あたし顔引きつってない?
今度会ったら、勇気を出して言ってみようと思ってた言葉がある。
それを口にしようとしたら、君がひとこと言った。
「僕、なで肩だから、エプロンのヒモがすぐに下がっちゃうんですよねぇ」

マジに話しかけようと思ってたのに、君の言葉に笑ってしまった。

「笑った顔、変わってないですね」

え?今何て言ったの?!

「もしかしてあたしのこと覚えてます?」
「覚えてますよ。この前初めてここ来た時はびっくりしましたけど」
「あたしもびっくりしました」
「でも今日の感じ、なんかいつもと違いますね」
「そうですか・・・?(*^_^*)」


「みなさん、こんにちは」と料理の先生がやってきた。

君とあたしは「またあとで」と、目であいさつした。

10年の月日は、いろいろと人を変えてゆくけど、変わらないものも
たくさんあると信じたい。


クッキングスクールが終わった後、近くのカフェで少しだけ話をした。
「また花火とかしたいね」なんて。

乗る電車はお互い逆方向だから、改札を入ったとこで、今日最後の会話をする。
さよなら。なんて切ない言葉。できれば一生言いたくない、もう・・・。
すると君は、あたしの手を取って、手のひらに文字を書き始めた。

やっぱり君は覚えてたんだね・・・。

君はあたしの手のひらに、『え・い・え・ん・に・な・ろ・う』って書いた。
あたしも震える手で君の手を取り、手のひらに『う・ん』と書いて答えた。

「じゃ、また今度」とふたりで別のホームへと向かう。

いつか同じ道を帰ることを夢見て・・・。







勝手にBGM : 「花火」