「僕とあたしの未来 78」



夜の町をあたしは走る。突然いてもたってもいられなくて。
というのも、先日、ふと雑誌で見た映画が気になって、その記事の載ってる
雑誌を買いまくっているのだ。

日付が変わった頃、あたしは近所のコンビニへ走る。一軒目、店長の嗜好なのか
以前置いてあった雑誌を置いてない。

二軒目へと走る。薄暗い公園には、若い子が座りこんでなにやら話している。
信号が変わるのがもどかしいくらいに、足踏みしながら青に変わるのを待って
横断歩道を渡り、コンビニに飛び込む。

客はたいてい一人か二人。その中を雑誌コーナーへとまっすぐ進む。
一軒目で2冊、二軒目で別のを無事2冊。なんだか安心して家路につく。


帰宅した時、偶然にも隣のドアがガチャッと開いた。

「あれ、おまえこんな時間に何してんの?」
「え、ちょっとコンビニに・・・」
「2つも袋持って、コンビニのはしごか?」
「・・・一軒じゃ用事すまなかったんで」
「・・・・・へー、雑誌・・・全部同じヤツだな、表紙」
「勝手に見ないでください!」
「・・・そういうヤツが趣味なのかー」

松本先輩は、ふぅんといった顔をした。



「なんかすすめられて映画のチケットカード二人分もらったんだけど、
 観にいかねぇ?」

後日、先輩が突然言い出した。なんで?しかもあたし?

「なんか話題のあれなんだけど。なら・・・ナラター」
「ナラタージュですか?」
「そうそう、それの」
「どうせ観るなら違うのがいいです」
「なんで?」
「いえ、なんとなく」
「あ。もしかしてあれ?ちょっとあれなシーンが出てくるから、一緒に観てるの
 なんか気まずいとか思ってんの?」
「・・・・・」
「おまえにもそんな恥じらいあったんだな!!」
「失礼な!」
「じゃ、観ようよ、なら・・・」
「ナラタージュです」
「それ。じゃ、10月入ったらな。都合がいい日とか決めといて」
「ちょっと先輩、まだ行くって言ってな・・・」
「よろしく」

先輩は、あたしの答えを半分しか聞かずに行ってしまった。

よりにもよってそれか・・・。あたしが観れないって思った映画。
観れないけれど、主演の俳優が気になって、雑誌を片っ端から買いまくった。
なんで先輩と観ることになるの?



        * * * * * * * * * *



駅前で先輩と待ち合わせをした。隣なんだから出発地点は同じなのに、先輩は
「ちょっと用事があるから」と待ち合わせることになった。

「ごめん、待った?」ってセリフを言いたいだけなんじゃないの?と思いつつ、
待ち合わせ場所に行くと、先輩は先に着いて待っていた。

「すみません、お待たせしました・・・」
「待ってないよ。用事が早く済んだだけ。待ち合わせ時間10分前じゃん」

しまった。先輩はきっちりしてる人だった。遅れてくるなんてことはなかったんだ。


映画館は駅からすぐ。壁面のスクリーンには早くも次の映画の予告が流れている。

ポツリポツリと地面に水玉模様ができ始めた。雨?
この前、先輩と外回りに出た時も、途中から雨が降り始めたっけ。


「先輩ってもしかして雨男ですか?」
「そう?そういう自覚はないけど」
「先輩、雨降らせてますよ、今までもけっこう」
「・・・確かにどんどん降ってきたな(^_^;)」


雨を避けるように映画館に駆け足で入り、先輩からチケットを受け取る。
土曜日の午前中、席はかなり埋まっている。


こんなふうに誰かと並んで一緒に映画を観るのは、いつ以来だろう?
観るのはいつもひとり。あたしはみんなでワイワイするのは苦手だから、出かけるのも
ひとり。それが淋しいとかじゃなく好きなのだ。


予告が終わり、本編が始まった。そういえば・・・主人公はメガネをかけていた。

『俺のメガネ姿は、おまえだけに独り占めさせてやるよ』

あの日先輩はそう言った。今日はいつものコンタクト。あれはただの冗談だった
んだろうか?


言葉を極力閉じ込めた、表情だけで伝えていくだけの男。なのに弱くてすがりつく。
そこに自分自身を、そしてかつての彼を見た気がして、あたしは涙をこらえきれなかった。


壊してほしい。どこかへ連れ去ってほしい。どんなに思ったことか・・・。

声を押し殺して泣いた。


ちぎれた手紙が風に乗って飛んでいく。男女の別れのように粉々に。

女の方が年下なのに、大人の男を包み込む。髪を撫でるしぐさはまるで
聖母のようだった。

たった一夜。このひとときだ、あたしが焦がれて悔しくて観れないと思ったのは。

けれど離れてゆくしかない二人。惹かれるのも離れるのも理屈では説明できないことが、
この世には存在する。
あたしには登場人物の誰ひとり、憎むことなどできなかった。誰もが持ちうる感情を
秘めていた。

澄んだ歌声とともに、エンドロールの文字が流れてゆく。


終わってからしばらくぼーっとしていた。涙で顔はぐしゃぐしゃになっていたと思う。
その顔を確認することもなく、ただぼーっとしていた。


あたしがいつまでも身動きせず座っているから、先輩は心配になったらしい。

「大丈夫か?」と声をかけてきた。ただ一言だけ。

「はい」とあたしは答え、席を立った。


壁面のスクリーンにはコメディ映画が映し出されている。泣くほど笑ってしまうような。
ぽとりと落ちたのは、決してあたしの哀しい涙なんかじゃない。空がこころを震わせて、
足元のアスファルトを濡らしているだけだ。


「なんか誘ったの悪かったかな」先輩が申し訳なさそうに言った。
「いえ・・・」
「だっておまえ、号泣だったじゃん。鼻かんでたし」
「そういうとこは指摘しないでください!」
「・・・ああいう想いしたことあったんだな。おまえも」
「おまえも・・・って先輩も、ですか?」
「いや、全然」
「でしょうね、先輩はおモテになるでしょうから」
「おまえなー、俺をどういう奴だと思ってんだよ?」
「そういう奴だと思ってます」
「・・・ったく」


先輩があたしの頭を自分に引き寄せた。一瞬何が起こったのかわからなかった。


「おまえさ、なんもわかってないのな?それともわかっててそうしてんの?」
「え。どういう・・・?」
「帰ろう」


先輩はあたしの手を引っ張って、ずんずん歩いていく。帰るって家に?


家のドアの前に着くと、先輩はあたしの肩を抱いて、自分の部屋に
招き入れた。なかば強引に。

先輩は玄関先でいきなりあたしを抱きしめた。

先輩の唇がそっとあたしのおでこに触れたとたん、からだに電気が走る。


「ごめん、入って」
先輩は何事もなかったかのように言う。
「もう入ってますが」私もそ知らぬ顔をして答える。
「だから上がれって言ってんの。どうしてそう素直じゃないんだよ?おまえは」
「先輩こそ素直じゃないです」
「この状況でそれ言う?じゃ訊くけど、おまえ俺のことどう思ってんだよ」
「・・・・・」
「嫌いか?」
「嫌いじゃないです」
「じゃ好きか?」
「・・・好き・・です・・・・・」


あの男とは全然違う意味でずるい。誘導尋問。


「お茶淹れるよ」

先輩は落ち着きを取り戻しつつ、キッチンに立つ。

「ハーブティーでいいかな?」
「はい」

ジャスミンティーの穏やかな香りが部屋に漂う。先輩はなんであたしの好きなお茶
知ってるんだろう?

「ちょっと待ってて」
そう言って先輩は部屋を出て行った。

耐熱ガラスポットの中で茶葉が舞う。映画の中で踊らされてる人間模様みたい。

戻ってきた先輩は、メガネをかけていた。映画の主人公が先輩に重なって見えた。
ヒロインを社会科準備室に招いて、コーヒーをふるまうところ。

耐熱ガラスのカップに、ガラスポットのお茶を注いで、「はい」とあたしの前に置く先輩。
「ありがとうございます」と言うあたし。


「ここに越してきたの、偶然なんかじゃないよ」
先輩はぽつりと話し始めた。

「わかってます」
「そりゃそうだよな、どう考えたって不自然だし」
「でも、先輩が越してきてからの毎日は、ちょっと楽しかったです」
「ちょっと?すごくじゃないの?」
「そういうとこが自意識過剰なんですよ」
「そうじゃないよ、こう見えてビビリなんだよ。楽しんでもらえてないのか、って」
やっぱり淋しがり屋さんなのかな、先輩って。

先輩と向かいあってお茶を飲みながら、いろんな話をした。

話すことも尽きた時、先輩は一言「好きだよ」と言った。
「あたしも好きです」と答えた。

出しっぱなしの蛇口の水の音。キッチンでガラスのカップを洗いながら、
そっとキスをした。

日常のひとつに溶け込むような、映画とはまた違う穏やかな告白。

けれど、映画と同じようにまだ雨粒がベランダを濡らし、少しだけ冷たくなった
空気が窓ガラスを曇らせていた。





勝手にすぺしゃるさんくす : 映画「ナラタージュ」葉山先生、泉ちゃん

勝手にBGM : adieu 「ナラタージュ」