「絆」 〜桜の咲くころに〜


ちょうど去年の今ごろだった。桜の木の下であいつと逢ってしまったのは・・・。



          * * * * * * *



それはオレが脚本(ホン)を書いて舞台監督(ぶかん)を務めた、とある秋公演でのこと。
いつものように楽屋には、うちの看板役者であるボウちゃんへの花が所狭しと並んでいる。
ホラ、また一つ。
「中嶋望さんへお花のお届けものです」
「はい、どうもすみません」
裏方のオレはいつもこんな具合だ。
入った時は一緒だったのに、どこでどう違ったんだろう?

「よぉ、ボウちゃん、相変わらずモテモテだな?」
ゲネを終えて一汗流してきたヤツに声をかける。
「いいかげんボウちゃんはやめろよ〜。それより桐生(きりゅう)、おまえあてに預かってる
 もんがあるんだけど?」
「へ?」
「さっき楽屋口で、渡してくださいって頼まれたんだ。じゃ、オレ戻るから」

ヤツから受け取り、オレの手に残ったのは一通の手紙。
これってファンレターってやつか?
ワクワクして中を読むと、歯の浮くような愛のコトバがあふれているのかと思いきや、
なぜかファンレターらしからぬ詩が書かれている。
まぁ、それをここで読み上げるのも、あるイミ恥ずかしいのでやめておく・・・。

「変わった女だな」
それがあいつの第一印象だった。



          * * * * * * *



冬って季節は好きだ。空気感というのかな。
このホールの近くの木立ちも繊細な枝をのばし、晴れ上がった空にレースのような模様を
描いている。

マチネ(昼の部)の後、休憩を取りに外に出ていたオレは、ホールロビーに戻ってくると・・・
その光景に出くわした。

「ご本人に直接お渡しなさいますか?もう戻られると思いますけど?」
「え・・いえ・・・」
「あ、桐生さん!こちらの方・・・」
「えっ?!」
その子はびっくりして振り返った。

言葉もなく食い入るように見つめる目に、ちょっとビビる・・・。
「あ、あの・・・」
その沈黙にオレは思わず口にすると、ハッとして彼女は答えた。
「ごめんなさい・・・あの・・これをお渡ししようと思って・・・」
見覚えある封筒・・・。
「もしかしていつも手紙を下さる方ですか?」
「はい・・・」
「どうもありがとうございます」
「いえ・・そんな・・・」
会話が続くどころか、彼女はうつむくばかりだ。

「じゃ・・・ソワレ(夜の部)の準備がありますんで・・・」
無情にもオレは立ち去ろうとした。すると彼女は
「応援してます・・・頑張ってくださいね」
それだけ言ってようやく笑顔を見せた。
それがあいつとの出逢いだった。そして、オレはあいつに手紙の返事を書いたんだった。



          * * * * * * *



あいつはそれからというもの、舞台がある時は必ず、楽屋をたずねるようになっていた。
でも相変わらずだ、ほとんど会話ができない・・・。代わりと言ってはなんだけど、
オレらをつなぐものは手紙だった。

その日も舞台の片隅で手紙を読んでいると、ボウちゃんがやってきてオレを覗きこんだ。
「おまえ、あの子と付き合ってるの?」
「へっ?!」
「そうやって大事そうに読んでるからさ?」
「・・・んなわけねーだろっ!だったら会って話してるよ!」
「会ってるだろ?」
「話せてねーよっ!」
「なんで?」
「なんでって・・・あの子と向き合うのが怖いっていうか・・・」
「おまえさー?」
ボウちゃんがオレの隣りにあぐらをかいて座った。

「あの子と向き合うのが怖いんじゃなくて、自分の気持ちに向き合うのが怖いんじゃないの?
 いくら女にトラウマがあるからってさー?」
「言うなよ!」
そうだった・・・オレは昔、恐ろしいほど、はっきり言って迷惑ってくらい、ある女に
熱烈に愛された覚えがあるんだけど、その時の彼女の目に似ている、あいつの目。
オレは器用な人間じゃないし・・・。

そんな間柄のオレたちも、桜の咲くころには少しずつ話すようになって・・・
付き合ってたって言えるんだろうか?一緒に出かけたりもした。
だけど、オレが好きなとこ行って、ひたすら歩いて引っぱりまわして・・・あいつは後を
ついてくるだけ。

それでもあいつは「一緒にいられることがうれしい」って、大輪の花火の下で笑ってた。
「空気のようになれたらそれでいいの」って。
なのにオレは・・・。



          * * * * * * *



魔が差した。打ち上げで盛り上がって、勢いで飲んで、気づいたら自分の部屋じゃないとこにいた。
ここから先は話すのも苦しいから、想像にまかせる。
その女(ひと)は、あいつとはまったく違う目をしていた。それが少しだけ心地よかったんだ。

オレは逃げてたのかもしれない、あいつからの手紙の返事もロクに書かずに。
そしてある日、電話嫌いのオレがついふと出てしまった(出るのがふつうだけど)電話。

「もしもし?」
「あ、私・・・。ボウさんから聞いたんだけど、ホン書けてないんですって?」
「ああ・・・」
「どうしたの?」
「ヤツ、なんか言ってた?」
「別に?・・・なにかあったの?」
「いや・・・」

すれ違ってく。男と女はちゃんと話さなきゃダメだ。今になってそれがよくわかる。
話してどうなるもんじゃなくても、会話がなくなったらダメなんだ。

ある日を境に、あいつからの連絡が途絶えた。記憶をたどってみる。
舞台の稽古の後、その女と飲んでた・・・。きっと見たんだろう。
なんてヤツなんだ、オレって男は。自分が嫌になるよ。

あいつの目が淋しがってるのわかってて、オレは逃げたんだ。
初冬の凛とした空気とは裏腹に、オレの心は裏切りに澱みきっていた。



          * * * * * * *



その日は朝からひどいどしゃ降りで天気は最悪だったけど、オレは春公演のラストを迎え、
少し気がラクになっていた。
あいつからの連絡は相変わらずない。だったら自分からすればいいのに、それができない。
舞台も見に来てないみたいだ。あいつの手紙も受け取ってない。

いったいどこにいるんだろう?

そう思った矢先、ボウちゃんに呼び止められた。
「桐生、あの子来てるぞ」
「え?!」
「ロビーで待ってるって・・・」
「・・・わかった、ありがとう」
ロビーまでの距離が長く感じられた。これがオレとあいつとの距離なのだろうか?

「明日、あいてる?」
オレの顔を見るなり、いきなり聞いてくる。
「明日は私に付き合ってほしいの・・・」
めずらしく自分から言い出した。っていうか、今までオレが振り回してたんだけど。
「ああ、いいよ。何時?」
「6時半にいつものとこで」
「わかった」
「じゃね」
「あ?舞台見てかないのか?」
「・・・ごめんなさい・・・今日は見れないの」

その時のあいつの態度がおかしかったこと、心のどこかでわかっていた・・・。
どしゃ降りの雨の中を駆け抜けて行く後姿。その雨がオレらの行く末を物語ってるような気がして、
デカいため息をついたのを覚えている。



          * * * * * * *


「どこ行くの?」
「夜桜を見たいの」
「どこの?」
「あの場所よ・・・思い出の」
あいつの後をついていくオレ。あいつはいつもこんな気持ちで歩いてたんだ。

急な坂道を登ったところに、その見事な桜の木はあった。
この坂を一緒に歩いたこと、すっかり忘れてしまっていた。

「・・・覚えていてね、こうして歩いたこと」
オレを見透かしたように、あいつはつぶやいた。
「もうそれだけでいいから・・・」
「夏菜?」
「・・・私じゃあなたを支えることなんてできない。あなたを見てるだけでせいいっぱいで・・・
 だけどあなたは、もっと大きく包んでくれる人でなきゃだめなのよね・・・」
「・・・・・」
「さよなら・・・」
自分の言いたいことだけ言って、あいつは背を向ける。

「待てよ!」
オレは初めて口にする。もう遅い、遅すぎたんだ。
「おまえのまっすぐな目が怖かった・・・。逃げてたんだよ。素直に言えなくてごめん・・・!!
 本当は・・・」
「言わないで・・・もう無理して言わなくていいの」
「夏菜!」
「さよなら・・・」

あいつは背を向けて歩き出す、振り返らずに。桜の花びらが切なく、オレの心にも降り注ぐ。

素直に言えなくてごめん。言えなかった。本当はホレてたんだ。
オレは精一杯の気持ちを、最後の手紙にこめた。



          * * * * * * *



ちょうど去年の今ごろだった。桜の木の下であいつと逢ってしまったのは・・・。
あいつと別れた場所とは全然別のところで。そう、あの日のように花びらが風に舞っていた。

あいつは男の隣りで幸せそうに笑ってた。
オレはまだあの日に置き去りにされたままなんて、とても言えなかった。
最後の最後まで素直じゃねぇ男だな。

オレの中に残るひとかけらのガラスが、桜の咲くころになると光り出す。
ずっと輝きを失うことはないだろう。
そんな思い出、誰にでもあるよな、きっと。