「絆」 〜白い羽の天使〜


それは、じわじわと攻めるようにやってきた。
予定日の前日の朝、腰が締めつけられて頭に血が昇るような感覚を覚えていた。

・・・陣痛だ・・・。

「ん?どないした?」
歯を磨いていた彼が、私の方を向いて言う。
「・・・もしかして陣痛が来たんか?!」
「たぶん・・・」
「そらたいへんや!」
「まだ大丈夫・・・間隔が短くなってきてから、病院へ行けばいいから」
「そんなん言うててええんか?!」
「ちょっと落ち着いてよ?あなたが慌ててどうするの?」
まだまだ笑う余裕がたっぷりある。

「早くしないと仕事遅れるよ?」
「今日も明日も休み取るわ。安心しぃや」
そばにいてくれる、その気持ちがあたたかくてうれしかった。


夕方を過ぎる頃から、だんだんとその間隔が狭くなってゆく。
すでにもう食欲はないに等しい。
だんだんと気分もすぐれなくなってきた。

「おい、大丈夫か?!病院に連絡した方がええんとちゃう?!」
「う・・ん・・・」
「ワシが電話するから」
「大丈夫、いろいろ伝えなくちゃいけないことがあるから」
「いろいろって?」
「何時ごろからどういう状態だ、とか」
「そんなん後でええやろ?電話貸して!」

彼は電話をひったくるように取ると、病院に連絡した。
「せやから、何時ごろって・・・それより気分悪うなってんですよ?」
電話口で訴えている。
「はい、今からすぐ連れていきますんで!!」

そそくさと切ると、今度はタクシーを呼んでいる。
「もしもし?タクシーをお願いします!!」
いつもよりも語調が鋭い。
(いざという時、頼りになるんだよね・・・・・)
私は腰を押さえながら、彼を見ていた。



          * * * * * * * 



タクシーが到着した。
「お待たせしました、どちらまでですか?」
「○○病院までっ!!」
彼は私をよっこらしょと押し込む。荷物じゃないんだから、自分で乗れるってば!
そう言いながらも、ついさっきまで手を引いてもらって歩いてたんだった。ワガママな妊婦・・・。

「もしかしてお産ですか?」
運転手さんにたずねられ
「そうなんですよっ」
私より彼のテンションの方が上がっている。

「じゃ、いつもよりさらに安全運転で行きますわ」
そう言って運転手さんが笑うと
「あ、でも安全かつ迅速にたのんますよーっ!」
彼は身を乗り出して言ってる。

「お客さん、関西の人?」
「運転手さんもそうなん?」
関西弁が飛び交っている。
私は気分がすぐれないながらも、おかしくなって思わず笑った。

緊張をほぐすためなのか、二人の関西人は病院に着くまでの間、ずっとしゃべり続けていた。

「パパ、ママ、頑張ってなー!!」
運転手さんが励ましてくれた。
「ありがとうございました」
お礼を言って降りる。だから荷物じゃないんだから、自分で降りられるってば!
あ、またつい思ってしまった・・・。
「おやじさんも頑張りやー?」
最後に、彼が励ましのお返しなのだろうか、言葉をかけていた。そんなに年取ってないのに、
おやじさんだなんて失礼よね?


ゆっくりと産婦人科に向かう頃には、陣痛の間隔はすでに5分を切っていた。

分娩室横の陣痛室で、母親教室の時に教わった通りの呼吸法をしてみる。
この痛みを逃すために。
今までいろんなことを聞いてきたけれど、味わってみなければわからないものだ。
母親教室で出会った出産経験のある友達は、こんなことを言っていた。
「腰を象に踏みつぶされてるような感覚」。
確かに・・・。


どれくらい苦しんだことだろう、ようやく分娩台に上がることができた。
後は運を天にまかすしかない。

まだ独身の友達に聞かれたことがある。
「産むのって怖くない?」
怖くないと言えばウソだ。
「だけど産むしかないんだから・・・」
私はそう答えた。

今まさにそんな気持ち。
この痛みを乗り越えれば、待ちに待った我が子と逢える・・・。
私はそれだけを頼りに、最後まで力を振り絞った。



          * * * * * * *



・・・声がしない。声が聞こえない。聞こえないよ!?

産まれ落ちた時、赤ちゃんは泣いていなかった。
泣いていない=呼吸していない、ということ。
「早く小児科のドクター呼んでっ!!」
とり上げた産婦人科の先生が叫んでいる。バタバタと看護婦さんが走る。
「小児科の当直は急患にまわっていて、今はハンドクのハザマ先生しかいませんっ!」
「なに?!じゃ、応援のドクター呼んでっ!!早くっ!!!」

『ほら、元気な赤ちゃんですよ?』
ほぎゃーっほぎゃーっ!!母親は我が子を胸に抱き、涙を浮かべる。
そんなよくあるドラマの1シーンが、虚しく頭を通り過ぎた。

・・・ごめんね・・・。
私は泣かない我が子に向かって、それしか言えなかった。

我が子を泣かそうと必死な先生。
分娩台にいてその姿が見えなくとも、私にはよくわかる。

小児科の先生たちが駆けつけ、我が子は看護婦さんに抱きかかえられて分娩室を後にした。

抱きかかえられた我が子は、彼の目の前を通っていったはずだ。
彼はどう思っているんだろう?
お願い、今すぐここに来て!動けない、我が子になんの手助けもしてやれない私の手を握って!

「あの・・・」
通りかかった看護婦さんにたずねる。
「子供は・・・?」
「今、先生方が処置してくださってますからね、大丈夫ですよ?」
『大丈夫』という言葉とは裏腹に、尋常ではない様子が見て取れる。

何があったのだろう?産んだのはたぶん午前0時はまわっていたから、きっちり予定日だったし、
未熟児だったとは思えない。
でもそれより何より、どうして私はごくふつうに産んであげられなかったのだろう?
自分を責める言葉しか浮かんでこない。


しばらくして看護婦さんがやって来て、私を病室に連れていってくれた。
彼は先に病室のベッドの横で待っていた。

「・・・どないしたん?・・・看護婦さんが抱きかかえたまま、あわてて通り過ぎてったで?
 『女の子です』だけ言うて」
「・・・ごめんね・・・」
まったく姿を見ていない赤ちゃんに向かって、彼に向かってそう言うことしかできない。

「ごめんね、って?なんや、それ?」
「・・・ダメかもしれない・・・息してなかったの・・・」
「え?」
一瞬ひるんでいたけれど、私はすぐさま彼にどやされた。
「何言うてんねん!助からんわけないやろっ?!」

静まり返った病室に、彼の声が響いた。他にもママたちが眠っているというのに。
「声が大きいよ・・・」
力なく言う私。
声を押し殺しながら彼は言う。
「あきらめたらアカン。きっと大丈夫やて!」
また『大丈夫』?どこからその『大丈夫』って言葉が出てくるのかわからなかったけれど、
彼自身が自分を励ますためもあって言っていたのかもしれない。


どのくらい時間が経ったのだろう?時計を見る。午前3時を過ぎていた。

かすかにカーテンが開いて、看護婦さんが顔をのぞかせた。
「山丘さん」
そう言いながら、小柄で華奢なその看護婦さんは、私のベッドの横にやって来た。
なんだか少女みたいにかわいらしい人・・・白衣の天使って言葉がぴったりな。
名札には『明日見 沙夜』・・・名前までかわいらしい。

「赤ちゃん、大丈夫ですよ。今保育器の中に入っています。ちょっと呼吸がうまくできなかった
 だけですから」
「・・・本当ですか?!ありがとうございました!!」
私は一気に疲れがやってきて、安堵のあまり涙があふれた。

トイレに行っていた彼が戻ってきた。

「赤ちゃん、もう大丈夫ですよ」
彼女は、パパになったばかりの彼をも安心させるかのように言った。
「そうですか!!どうもありがとうございました!!」
頭を下げている。
「しばらく保育器で経過観察の必要がありますが、先生方もいらっしゃいますからね。
 安心してゆっくりお休みください」
「はい」
「何かありましたら、ナースコールしてくださいね」
「ありがとうございました・・・」
二人で頭を下げた。

看護婦さんはにこっと微笑んで立ち去った。


ほんの少しだけ眠ったらしい。
気づいたら、ベッドの横で彼も眠っていた。カクン、となってあわてて目を覚ましてる。

「おぉ、寝てしもたわ。オマエも少しは眠れたんか?」
「・・夢を見たの」
私が言うと
「どんな夢?」
彼が聞いた。

「あの子は助からないかもしれないって思った時にね、女の子の天使が出てきたの。
 『私がこの子を守るから・・・』って言って。
 『あなたが?どうして?』って聞いたら、こんな話をしてくれたんだよ」

私は、彼女から聞いたその伝説を話し始めた。



          * * * * * * * 



「モンテ・コリーナの伝説」〜1/2の心〜


あるところに双子の姉妹がおりました。
姉の名前はサーヤ。妹思いの心優しい姉でした。
妹の名前はミュウ。姉を慕う素直な妹でした。

親でさえ見分けのつかなくなることがあるほどそっくりな二人は
とても仲がよく、いつも一緒にいました。

ミュウはおとなしい子で、なかなか自分の言いたいことが言えず、泣き虫でした。
サーヤは、そんなミュウを時には、身を盾にしていじめっ子から守ってあげるような
勇気と活発さを持っていました。

ある時、サーヤとミュウの友達のシーガルとカーナが、こんなことを言い出しました。
「モンテ・コリーナに探検に行こう!」
「モンテ・コリーナは神の山だから、入ったらいけないんだよ」
サーヤはすぐさま止めました。

神々が住む山と崇められているモンテ・コリーナには、かつて立ち入った者を戒めるため、
山が怒り大地震が起こったという伝説があるのです。

「へん、そんなのただの言い伝えじゃないか!サーヤは怖がりで弱虫だな?」
シーガルが言い放つと
「なんですって?私は怖がりでも弱虫でもないわ!」
とサーヤは怒り、ついには
「よぅし、行ってやる!」
と言い出しました。

「サーヤ、やめよう?」
とミュウが泣きべそをかくと
「だいじょうぶ、行こうよ」
とカーナがなだめました。

こうして4人はモンテ・コリーナに探検に出かけることになったのです。


山の裾野はうっそうとした森でおおわれており、人々の中には、ここを通るだけで
恐れをなして逃げてしまう者もいるほど。
ミュウは、その暗がりに足を踏み出せずにいます。

けれどもシーガルは
「この道は、この前探検したんだ。ここをまっすぐ行けば、山の入り口にたどり着けるんだよ」
と得意顔で言いました。

思ったよりもその道は明るく、木々は4人をあたたかく迎えてくれているかのように見えます。
サーヤにぎゅっと手をにぎられて、ほんの少しほっとしながら、ミュウも足を進めて行きます。

すると、パッと視界が開け、目の前に雄々しくそびえ立つモンテ・コリーナが姿を現しました。
近くで見るとその姿はいっそう、人々を寄せつけることを拒んでいるかのようで
神が住むと言うのは本当かもしれないと思えるほどです。

「行くぞっ!!」
先頭を切って元気よくシーガルが歩き出しました。
カーナが次に続き、その後からミュウ、最後にサーヤです。

ゴツゴツと岩だらけのその道なき道を、時に小石を蹴落としながら登ってゆく4人。
途中から雨が降り出し、ただでさえ悪い足元をさらに危うくしてゆきます。

「雨が降り出したから戻ろうよ?」
空模様を気にしながら、サーヤが言いました。
「雨くらいどうってことないさ。戻るならサーヤひとりで戻れよ?」
相変わらずシーガルは強気です。
ミュウの心になぜか嫌な予感が走りました。


雨足が強い中、4人が歩いていくと、向こうに岩場の洞窟のようなものが見えました。
「あそこで一休みしよう」
サーヤが言った時・・・
暗く重い雲はなおさらに厚くなり、あたり一面真っ暗になり始めたのです。
そして、どこからともなく地を這うような音がしたかと思うと、
突然、その足元が大きく揺らぎました。

「あっ!!」
「じ、地震だっ!!」
「みんな、あの岩場の陰へ!!」
サーヤはみんなを送り、ミュウの背中を押しやって、自分がいちばん最後に向かおうとすると・・・
足元が崩れ始め、サーヤの姿はあっという間に見えなくなってしまったのです。

ゴウゴウという音と共に、大きな岩が斜面を滑り落ち、3人のいる岩場まで押しつぶされるのではないかと
思われた時、ようやく大地の揺らぎはおさまりました。
けれどサーヤは・・・。

「サーヤッ!!」
「ミュウ・・・」
どこからかかすかな声がします。
「サーヤ、どこなのっ?!」
「ミュウ・・・だいじょ・う・ぶ・・だったん・だ・ね・・・」
「サーヤッ!!」
ミュウはあわてて岩場から飛び出しました。
「ミュウ、危ないよ!!」
カーナが止めるのも聞かずに。
シーガルは、岩場の陰でぶるぶる震えながら泣いていました。

「サーヤッ!!」
「・・ミュ・・ウ・・・」
岩と岩のわずかな隙間からサーヤの声が聞こえました。
「サーヤッ!!」
「・・・よか・った・・・ミュ・ウが・・げんき・で・・・」
「待っててね、今助けるから!!」
けれど、ミュウの力では岩などビクともするはずがありません。

「・・いい・んだ・よ・・ミュ・ウが・・げん・き・なら・・・」
サーヤの声がだんだん小さくなっていきます。

「サーヤ・・・」
「・・ミュ・ウ・・・とおく・で・・みて・る・・から・・・ね・・・・・」
そしてサーヤの声は聞こえなくなりました。


と、その時です、岩と岩の間へ、天から光が差し込んだかと思うと、
その光に導かれ、サーヤの魂が浮かび上がったではありませんか。

響き渡る厳かな声。
「サーヤ、おまえは優しい子じゃ。おまえに天使の命を授けよう。
 天使となってこれからずっとミュウを守っていくのじゃ」 
神様の声でした。

「神様!!」
ミュウは声の主の神に向かって叫びました。
「サーヤを還してください!!神様ならできるのでしょう?」
「それは神のわしにでもできん・・・サーヤとおまえは悲しいことだがな、別れるさだめだったのじゃ・・・」
「どうして?!」
ミュウはその場に泣き崩れました。

すると・・・空に浮かんだサーヤの魂がささやきました。
「・・ミュウ・・悲しまないで。私はあなたとずっと一緒だよ。ずっとそばにいるから」
「サーヤ、いやだよ!!」
「・・・ミュウ・・・いつも一緒にいるから・・・あなたの心の中に・・・・・」

サーヤの魂が高い空へとのぼっていきます。
「サーヤッ!!」
小さく手を振って、サーヤは空に消えてゆきました。


町の人々がミュウたちを助けに来れたのは、翌朝のことでした。
皆で力を合わせ、サーヤのからだを救い出し、亡骸は手厚く葬られました。
そして・・・モンテ・コリーナのふもとにサーヤをまつる碑を建てたのです。

モンテ・コリーナの伝説を人々は語り継ぎ、二度と神の山を怒らせることはなくなったということです。
そして・・・兄弟・姉妹だけでなく、人々はお互いを思いやるようになりました。

今もミュウの心の中に、サーヤは生き続けています。



          * * * * * * *



彼女は伝説を話してくれた後、こう言った。

「私はその時、神様から命を授かった天使、サーヤです。ミュウを必ず守ると誓ったから」
「ミュウって・・・」
「そう、あの子はミュウの生まれ変わりなんです」
「生まれ変わり・・・?」
「ミュウをよろしくお願いします・・・」
「あ・・・」
「私はどこにいてもミュウを見守っていますから・・・」

そして・・・その天使・サーヤは空に消えていった。


「その話にしろ、言葉にしろ、そんなん細かいとこまで覚えとるなん、ずいぶんはっきりした夢やなぁ?」
彼はびっくりして言った。

そう、夢じゃないのかと思った。
本当に目の前に天使がいたような気がした。


外はほんのりと明るくなり始めている。病室の窓のカーテンを少しだけ開けた。
わぁ・・・。

「見て?雪・・・雪降ってる」
「え?ホンマ?」
私たちは、明け始めた薄青い空を見上げながら、降ってくる雪を飽かず眺めた。

さやけき空からはかなく降るその雪は、とてもきれいだった。まるで天使の羽のように。

さやけさ・・・さや?
「そう言えば、さっきの看護婦さん、沙夜さんって名前じゃなかった?」
「せやったかなぁ?」

私は気づいた。あれはサーヤだったのかもしれない。
彼女の言葉を思い出した。
・・・ミュウをお願いします・・・

「ねぇ、名前決めたよ」
私に迷いはなかった。
「ん?どんなん?」

「美しい、に羽と書いて、『みう』」
天で見守るサーヤに届けるかのようにはっきりと言った。

「美羽・・か・・・。それ、ええなぁ、きれいな名前やわ」
「でしょう?あの子がきっと守ってくれるから」
「え?誰が?」
「白い羽の天使が、ね?」

私はもう一度、空を見上げた。
一瞬、空の高みでサーヤが微笑んでいるのが見えた気がした。

12月24日、天使がくれた大きなプレゼント。
それは美羽。





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