「絆」 〜蒼月(そうげつ)〜


8月が過ぎ、まだまだ夏の陽射しの残る9月初旬のこと。
夏菜が、窓からぼんやりと外を眺めとった。
まーた寝不足でアタマボケーッかいな?せやからはよ寝ー!毎晩言うとるやん?!

「朝からダラダラせんとシャキッとせぇ!」
「・・・え?」
ちょっと驚いたように夏菜は振り返った。
「なんや、眠くてしゃーないんとちゃうんか?」
「・・やだなー、いっつもそんなわけじゃないわよ、失礼ね」
笑った口元が妙に淋しげで、ワシは出逢うたばかりの頃の夏菜を思い出した。
そう。花火の夜、まるで儚い花火のように散ってまうんやないかと思うたあの
夏菜を。

「なーんか海が見たくなっちゃった・・・」
ぼそりと呟く夏菜。
「海?」
「そう・・・海。オヤジの海」
「オヤジの海て・・演歌やんけ」
笑おうとしたワシやったけど、どうも夏菜の様子が変や。
「オヤジの海て・・・もしかしてホンマの親父さんの海か?」
「・・・うん」

ワケあって夏菜の本当の両親は別離、夏菜は今の両親に育てられた。
夏菜が「オヤジ」と呼ぶのんは、別れた、今はもうこの世にはいない父親のことや。

「なんだか見てみたくなっちゃったの、オヤジが育った海の町を・・・」

幾度となく日本地図を開いては、親父さんの出身だという町を眺めていた夏菜。
美羽が産まれてからは、そういった言葉はあまり口にしたことがなかったんやけど。
そういえば2年ほど前、ホンマのお母さんから手紙が来たのんも、9月やったかな・・・。

ワシは決心した。

「ほな、見に行こか、オヤジさんの海を」
「ホント?休み取れるの?」
「仕事、23、24日と連休やろ?前の日休みもらうことにするわ。
ちょっときっついスケジュールかもしれへんけど、行こ!」
「ありがとう!!」

夏菜はうれしそうに微笑んでいた。



              * * * * * * *



夏菜の父親の故郷・九州へ向けて、飛行機は飛ぶ。
自分のルーツである港町をたずねての旅。
現地でレンタカーを借り、ワシら家族3人しばしのドライブや。

ふるさとの漁港。地引網を縫って修理するばあちゃんたちの横を、車は走る。
前もって調べておいた、本当の両親が住んでいたはずの住所を探す。
車から降りて歩き出し辿り着いたそこには、小さな小さな古い家がぽつんと
佇んでいた。

夏菜の本当の苗字は山岬(やまさき)。
たずねたその家には別の名前の表札が掲げられていた。
本来なら、ここに家族そろって暮らしとったかもしれへんのにな・・・。
両親の間に何があったのか、夏菜もワシも知るすべはない。
いや、今となっては夏菜の本当のお母さんのみぞ知ることなのかもしれへん。
きっと本当の親父さんは漁師やったんやろな。
最後に一人寂しく死んだ地は北陸の地やったと聞くし、孤独な漁師として
生きとったんやろなぁ。


そして、岬の砂浜にワシらは降り立つ。
まだまだ暑いけど、やっぱり季節はずれの海、しかも飛び石連休の平日ときとるから、
人影も少なめや。
ひたすらに打ち寄せる波。風に夏菜のブルーグレーのワンピースがひるがえる。
美羽は、間近で初めて見る大きな波を、まぶしそうに見つめとる。
海水浴真っ盛りの頃は、きっと近所の家族連れで賑わうんやろな。
その声が波音に混じって聴こえてくるようやわ。

「・・夏菜・・・」親父さんの声が聴こえた気がした。

「なぜなんだろう、初めて見る海なのに、どうしてこんなに懐かしいんだろう?」
夏菜の瞳からは涙が溢れて止まらない。
ワシはそっと夏菜の肩を抱いた。
”おかえり・・・”波があたたかく夏菜を迎えてくれとるようやった。

親子三人で砂浜に座り、しばしの間、飽かず波を眺めていた・・・。
そして・・・夏菜とワシは静かに唇を合わせた。



車を走らせる。
今夜は海沿いの宿に泊まることになってる。

着いたその先は、小ぢんまりしているけれど穏やかな心で満たされそうな
どこか懐かしい宿や。

「遠いところをようこそおいでくださいました」
宿のおかみさん(おばちゃんとでも呼びたいけどな)が迎えてくれた。

通された部屋も、畳の香りがほんのりとするようなあたたかい雰囲気。

「家族水入らずでこんな旅行、久しぶりやな」
「うん、蛍見に行った時以来だよね」
「あの二人、うまくいっとるやろか〜?」
「そうだねー、そろそろ結婚話なんて出てたらいいね〜」

蛍・・・海・・・心のアルバムにも想い出が増えてくな。



食事を取って、お湯ももろうて、ゆったりとした気分になる。
美羽も寝つき、静かに、ひたすら静かに時が流れとる。

障子を開け外を眺めていた夏菜が、ぽつっとつぶやくように言うた。

「月・・・」

夏菜の隣に立って見ると、どこかほの蒼い三日月がワシらを見下ろしとった。

「ホンマや・・きれいやな・・・」

暗い海の上に浮かぶ細い月が、波間をほんのりと照らしとった。

「月と海て、どことなく男と女っちゅー感じがせえへん?」
「・・・またまたカッコつけちゃって!」
夏菜は笑ったけど、すぐに
「そうね、そうかもしれない・・・」
ワシの目を見て言うた。
「そういえば、きれいな月を見せてくれたことがあったよね、丘の上の公園で」
「せやなー、そんなこともあったわー」

ワシらにとって月って、なんや想い出を作ってくれるな。

男と女・・・不思議なもんやわ。
見ず知らずやった二人が出逢うて、家族になって、ここでこうしてる。
月は知っとったんかなぁ、ワシらが出逢うこと・・・。


二人で肩を寄せ合って、いつまでも空を見上げる秋の宵やった。