「ぬくもり」 〜again〜


          あれから僕は、ずっと忘れられずにいた。
          二度と逢えないかもしれない彼女のことを。


        初めてのエッセーも好評を博し、第二弾を出版する運びとなった。
        原稿も上がり、ようやくほっと一息つける。

        しばらくぶりに、昼間散歩に出てみた。
        いつもの道を歩いていると・・・この前まで建設中だったコンビニ、もう出来上がって
        営業を始めてるじゃないか。
        けっこう新しいもん好きの僕は、新しくできた店にはさっそく入ってみる。

        いらっしゃいませの声と共にカゴを取り、別に買う予定はないけれど、
        原稿が上がった解放感からか、いろいろと物色するのが楽しくなっている。

        すると、ふとレジでの会話が耳に入ってきた。

        「え?もう売り切れちゃったんですか?!」
        「申し訳ありません・・・もともと入荷が少なかったので・・・」

        ちょっと離れていた僕には、何が売り切れてたのかまではよくわからなかったけど、
        なぜだかあの時を思い出した。
        あの日、彼女も同じようなことを言ってたっけ・・・。

        コートの上からでもわかる華奢な肩を、ちょっぴり落として帰ってゆく後姿・・・。
        あ・・・?ええ・・・?!

        僕はカゴをあわてて戻して駆け寄ろうとした。
        けれど・・・彼女は自転車をこぎ、寒空の中、風を切って走り去ってしまった。

        もしかして、あの彼女・・・?!それとも僕の見た幻想なんだろうか?

        僕も少しだけ肩を落としながら、そのまま店を出た。


                  * * * * * * *


        図書館までの道は、ずっとケヤキの並木が続いている。

        資料探しに、いつもは自転車で行くのだが、今日はなんとなく歩いてみたかった。
        ふだんなら5分で行くところを、15分も歩いているうち、小腹がすいてきた。
        しまった・・・さっき、コンビニで何か買っておくんだった。
        あいにく、図書館の近所にはコンビニもない。
        まぁ、いいや。帰りがてら何か買って帰ろう。

        次の作品は何にしようか、考えているうちはけっこう楽しいものだ。
        これが締め切りが近づき、担当者が入りびたるようになると、気分は一転。
        なぜこんな仕事を選んだものかと、胃に穴が開きそうな思いに変わる。

        雑誌のコーナーで目ぼしいものをパラパラとめくった後、地下のフロアに下りる。
        ここは文学やら言語の資料の宝庫だ。

        確かに僕は作家だけれど、すべての本が買いそろえられるほど裕福でもなければ、
        置けるほどの家もない。
        ようやくぼちぼちと本が売れ始めたばかりの、しがないモノ書きである。
        そんな僕でも、自分の本が棚に並んでいるのを見るとうれしいものだ。

        今日も自分の本のタイトルを見たくなって、あるコーナーに行く。
        あ、いつもは数冊あるコーナーに、残り一冊しかない。
        誰かが借りて読んでくれてるんだ。
        そう思いつつ、残り一冊の自らの本に手をのばそうとすると、すっと横から
        白い手のひらがのびてきて、同じ本に手をかけた。

        「あ、ごめんなさい・・・」
        「いや、こちらこそ・・」
        互いに手を引っ込めると・・・そこには、あの日と同じ驚きの表情をした彼女がいるじゃないか?!

        「き、きみ!!」
        「先生・・・!!」

        静かな室内に二人の声が響き渡ってしまい、あわてて声のトーンを押さえながら僕は話し出した。
        「お久しぶりです・・・いつぞやはどうも・・・」
        「・・・覚えててくださったんですか?」
        「え?まぁ・・・」
        覚えててくださったもなにも、僕はきみのことが忘れられなくて・・・
        さっきもきみの幻を追いかけて・・・なんて言えるわけない。

        「あの、今度またエッセー第二弾出るんですよね?楽しみにしてます」
        「ありがとうございます。記念握手会、たぶんまたやる予定なんですが」
        「そうですか。でもたいへんでしょう?握手会って」
        「まぁ・・・」
        「でも作品通りの先生に逢えるんですものね、みんなうれしいんですよ」
        「きみも?」
        「・・そりゃ・・もちろん・・・!」
        彼女が恥ずかしそうな顔をした。

        「僕もうれしいです・・・」
        「え?」
        「お逢いできて・・」
        「・・・えっ?・・・」

        ようやくのことそこまで口にした僕。すると突然、再び静けさを切り裂くように、
        僕の空腹感で満たされたおなかが、大音響を立ててグゥーーーーーッと鳴ってしまったのだ!
        なぜこんな時に?!
        クスッと彼女は微笑んだ。

        「で、出ましょうか?」
        「ええ・・」
        焦る僕。微笑んだままの彼女。なんでまたこんな時に・・・。


                  * * * * * * * 


        「すみません・・・小腹がすいてたもんで・・・」
        僕はあわてて言い訳をした。
        「このへんコンビニもないですもんね?私もさっき、コンビニに寄ってきましたもん」
        笑って答える彼女。

        幻でもなんでもない、やっぱりあの後姿は彼女だったんだ!

        「もしかしてこの近くにお住まいなんですか?」
        僕は思わずたずねてしまった。
        「はい・・・先生も?」
        「僕は榎木台なんですよ」
        「私は柊ヶ丘です」

        図書館から公園を抜ける道を、彼女は自転車を押し、僕は歩きながら、
        自然に会話を交わしていた。

        大通りまで出る。そのまま帰るとしたら、彼女は右へ、僕は左へ曲がらねばならない。

        「じゃ、私はここで・・・。握手会楽しみにしています。それじゃ・・・」
        彼女がペダルに足をかける。
        「あっ、あの!!よかったら・・・」
        僕は焦って言葉をかける。

        「はい?」
        「よかったら・・・・・お茶でも・・?」
        「・・・・・え?」
        「ずっと・・気になってました・・・・・きみのこと」
        「・・・・・・・えぇっ?!あの・・・・・?!」
        「・・よかったら僕と・・・・・」

        彼女は顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。
        僕は・・・それまで生きてきた中で、いちばん勇気を汗を振り絞った気がしていた。
        初めて出逢った夏の日から、数ヶ月が過ぎたある冬の日のことだった。


        こうして彼女は僕を、先生じゃなく瞬介と呼ぶようになった。
        僕も彼女を、きみじゃなく栞と呼ぶようになった。
        今僕の手のひらの中にある栞の手、変わらずあったかくぬくもっている。
        時々見上げる瞳は、あの時のようにどことなく恥ずかしそうだけれど。