「ぬくもり」 〜糸〜



銀杏と桜の並木が続く大通りに、僕の通った大学がある。
今度、主人公が学生時代を振り返るような話を書くことになり、
それならと、母校を訪ねてみることにした。

棟内以外ならキャンパスへの出入りは自由、散歩を楽しんでいる人も多い。
僕は栞と共にしばし、懐かしのキャンパスを歩いた。

「実は私も一度だけ、来たことあるんだよ、ここの学祭」
栞がはにかみながら言った。

「え。そうだったの?初めて聞いた!」

僕は少し戸惑いながらたずねた。

「もしかして元カ・・・」
「違う違う!女の子だよ。(笑)高校時代の友達で、ズバ抜けて頭良かった子。
 この大学に現役合格で、1年生の時だったかな、学祭に誘われたの」
「そっか・・・もしも時がズレてたら、栞と出逢ってたかもしれないなぁ」
「えぇーーー?学祭のたった1日じゃ無理でしょ?」

栞はころころと笑った。

人との出逢いは偶然の連続だ。
でも時にふと思うことがある。果たしてこれは本当に偶然なのだろうか、と。

講堂の美しい装飾を眺めていると、「あの・・・左沢先生ですか?」と声を掛けられた。
「私、先生に憧れてこの大学に入ったんです!サインいただいてもいいですか?」

その女の子は、カバンから僕の本を取り出した。その姿が、出逢った日の栞に重なった。
時を経て、今はいつも僕の隣にいてくれる栞。

軽く握手を交わすと、
「ありがとうございました!これからも先生の作品楽しみにしてます!!」
と、女の子は小走りに去って行った。

「いいなぁ、先生、若い子にモテちゃって」
「栞さん、それは嫉妬ですか?」
「まぁ、そうとも言う」
「クレヨンしんちゃんか?」

ははははと笑いながら、キャンパスを後にする。なんとなく次作のイメージが
湧いてきた。

僕は学生時代から新人賞を取るまで、この町で暮らしていた。
大学の近くは住宅が多いが、市内には生産緑地や湧水もあり、のどかな風景も残る町。
大学から歩いて15分ほどの、とあるアパートに住んでいた。

近所にはスーパーやコンビニもあり、生活するにはとりたてて不便は感じなかった。
夏になると、時々カブトムシが網戸にへばりついていたり、クワガタが部屋の中を
歩いていたりして、びっくりしたこともある。
これ、買ったらいくらするんだろう?などと思ったこともあるけれど、それだけ自然が
豊かで贅沢なことなのだろう。
この東京で。

などと思い耽りながら栞と歩いていると、いつの間にか僕の住んでいたアパートの前に
着いていた。

「ここで作家・左沢瞬介が生まれたんだね」
栞が感慨深げにアパートを見上げている。

苦しいことも時に悲しいことも、そしてうれしかったことも、共に過ごしてきた空間が
ここにはある。

アパートの目の前にあるコンビニ。
「よくここで立ち読みさせてもらったな(笑)」

懐かしいドアを開けて入ろうとすると、小さな紙がドア横に貼られていることに
気がついた。
飛び込んできた「閉店」の文字。
栞が僕より先に悲しそうな顔をした。

中に入ると、頭が痛くなるほどあの頃の記憶が蘇る。

見覚えのあるおばちゃん店員が、僕に話しかけてきた。

「もしかしてあんた、昔よく来てくれてた?あらやだ!大人っぽくなっちゃって!」
「はい、もういいオトナです(笑)」
「あら、お隣の子は彼女?奥さん?まぁ、すっかり立派になって・・・・・」

もはや母親のような心境?おばちゃんにとっては、いつまでも子どもなのかな。

「それより、おばちゃん、閉店って・・・」
「うん、そうなのよ、今月いっぱいでね」
「なんだか淋しいなぁ」

栞は黙って隣にそっと立っていた。今にも泣きそうな顔をして。

「でも、こんなタイミングで懐かしいあんたに会うことができるなんて、うれしいわ。
 これも何かの巡り合わせかしらね?」
おばちゃんは、あの頃と変わらない顔で笑った。

すると「あ!」と栞が声を上げた。

「私、ここ来たことある!」
「え?」
おばちゃんと僕は同時に言葉を返した。

「学祭の帰り、友達がちょっと買い物付き合ってって言って、新しくできた雑貨屋さんに
 行こうとしたの。そしたら途中で迷って・・・このコンビニに立ち寄った記憶が・・・」

「あらまぁ!」
おばちゃんは目を丸くして驚いていた。

「そうです、おばちゃんに確か雑貨屋さんの場所たずねて、おばちゃんはちょっと
 わからないけど、住所聞けばどのへんかわかるって言うから、住所言って教えて
 もらったんです」
「そうだったの。そんなこともあったんだねぇ。ますます何かの巡り合わせとしか
 思えないね」

栞と僕は、時を隔ててどこかですれ違っていたのかもしれない。

「あんた、そのお嬢さん大事にしなさいよ。ってあたしが言うまでもないだろうけど。
 不思議な巡り合わせで出逢えた人なんだからね」
「はい」
「はい!私も大切にします!!」
栞が僕より大きな声で答えた。

肉まん二つとホットドリンクを二つ買った。

「熱いから気をつけるんだよ」
「うん、ありがとう。おばちゃん、元気でね」
「あんた達もね」
「また会えるかな?」
「縁があるんだから、またどこかで会えるよ、きっと」
「そうだね、じゃぁまた」
「おばちゃん、またね☆」

いつかどこかでまた会えることを祈りつつ、懐かしい場所を後にした。

縁は異なものと言うが、僕は、縁は糸のようなものだと思う。
どこでどう繋がっているのかはわからないけれど、1本の細い糸でも撚り合わせて
束ねれば、切れることのない強いものになる。

人はそれに気づかずに生きているだけなのかもしれない。

僕も栞との糸を大切にしようと思った。
この先もしも糸が切れそうになったとしても、たとえ切れてしまったとしても、
きつく結び直して繋いでやる!と心に誓いつつ。