「オアシス」 〜アニスの香り〜



「愛してなかったわけじゃないし、淋しかっただけでもない。
 あたしが差しのべた手を、あの人がにぎってくれたからよ。
 一緒に泣いて笑ってくれるだけでよかったの。
 こんな話、誰にもできないわ」

そう言って半分笑いながら、メンソールの煙草をふかす女。

俺はさっきから黙ってきいてるだけだ。


「次は何にしようかな・・・」

女は煙草をそっともみ消した。

「やっぱりヨコハマかな、フフ・・・」

「かしこまりました」


俺はシェーカーを手にする。グラスに注いだその朱い色は、
女の唇と同じ色だ。
ヨコハマという名は、横浜で生まれたからに他ならないのだが、
名前までどこかオリエンタルなのは、アニスの香りのせいだろうか。


「おまたせいたしました」

俺はグラスを女の前に置く。

「ありがと」

女はグラスに唇をつけた。


「甘いはずなのにね・・・」

それ以上女は言わなかった。見ないようにしたつもりだったけれど、
女の涙がひとしずく、グラスにこぼれるのを見てしまった。


時々思う、バーテンダーって因果な商売だな、って。
見なくてもいいものをたくさん見てしまう。
俺は黙ってここに立ってるだけで、言葉すら返せない場面を
今までも山ほど見てきた。

でも辞めないのはなぜなんだろう?俺の性に合ってるからなのかな。


「朱の次はね・・・ホワイトリリーがいいかしらね」

女は涙のあとも拭かずに言った。

「かしこまりました」

「アニスの香りが好きみたい、あたし」

「そうなんですか」

俺は珍しく言葉を返した。

「なんだかあの人を思い出すの」

そう言って、女はまた遠い目をした。


窓の外はまた雨だ。そういえば、12月の雨なんて歌があったな・・・。





参考文献: 稲 保幸 著 「カクテル」(新星出版社)

参考資料: ネット検索でお世話になったサイトのみなさま(^_^;)

BGM : ポルノグラフィティ 「横浜リリー」

BGBook(^_^;) : 銀色夏生 「やがて今も忘れ去られる」