「オアシス 〜ジェラシィ〜」



ふと何気なく通りかかった道に、このお店はあった。
少しだけレトロな雰囲気のバー。お店の名前なんて全然覚えてなくて、
何度か足を運んだら、ようやく覚えたくらい。

でもたった一度だけでも忘れられない人が、このお店にはいた。

その人の指が奏でるメロディは、まっすぐでやさしくて穏やかなのに、
あたしは息ができなくなりそうなほど苦しくて、胸が切なくなった。

気がついたら、週1で通うようになって、バーテンダーさんにも顔を
覚えられていた。



『いらっしゃいませ』

歳はあたしよりちょっと上の、30代半ばってとこかな?渋めで端正な顔立ちの
バーテンダーさん。
もう一人は、甘い声が特徴の、ちょっと若くてキュートなバーテンダーさん。

二人同時に出迎えてくれた。バーカウンターの少し左寄りにすわる。


「今夜はおいでになるのがお早いですね?」
渋めのバーテンダーさんが話しかけてきた。

「そうですか?」
あたしはチラッと店のはしっこにいる、その人を見た。

「えぇと・・・今日のおススメのカクテルを。それと・・ピアノお願いしたいんですけど」
「かしこまりました」

若いバーテンダーさんが、ピアニストを呼んだ。

呼ばれてやってきたあなたは、小さくお辞儀して、いつものようにさわやかな空気を
運んでくれる。
何気ないジャケットも、あなたが着ると、どうしてそんなにおしゃれに見えて
しまうんだろう?

繊細な指がしなやかに旋律を奏で始める。一音も逃したくないから、あたしはその音を
脳裏に刻みつける。
身勝手な想いを抱いてごめんなさい。
本当はね、あなたの指先が触れる鍵盤にさえ、あたしは嫉妬してるの、いつも。


あなたの指が鍵盤を離れても、あたしはまだあなたをずっと見ていた。
その視線に気づいたのか、あなたは軽く会釈して、はしっこの席に行こうとした。

「二郎くんもこっち来たら?」
渋めなバーテンダーさんが、あなたを呼んだ。
「こちら、よく来てくださる常連さんだから。いつも二郎くんのピアノ
 楽しみにしてらっしゃるみたいだよ。そうですよね?」
「あ・・・はい・・・・・」
「いつもありがとうございます。僕のピアノ、気に入っていただけましたか?」
「はい・・・とても・・・・・」

目の前のグラスを持つ手が震えてしまう。

渋めのバーテンダーさんが若めのバーテンダーさんに、なにやら目配せをしている。
そして渋めが奥の方に引っ込んだかと思うと、若めのバーテンダーさんが
話しかけてきた。

「お客様は、特に苦手な味ってあります?」
「あまり強いのはちょっと・・・」
「じゃ、ノンアルコールのものをお作りしますね」
「え・・」
「お客様と二郎くんに、日頃の感謝をこめたささやかなプレゼントです」
「僕にも、ですか?」
「そんな・・・なんだか申し訳ないです」
「いえいえ。二郎くんもまだ営業中だから(^_^;)、やっぱりノンアルコール、ね?」

シェーカーを振るポーズまでどこか甘さのある、キュートなバーテンダーさん。
グラスにそそがれたミモザ色のカクテルを、そっと目の前に置く。

「おまたせいたしました、シンデレラです」

シンデレラ・・・。隣にすわってるあなたが王子様だったらいいのに。

「二郎くんにはこちら、シャーリー・テンプル」

レモンスライスがワンポイントの、透き通った朱いカクテル。

「佐々倉さんって、さすがチョイスがおしゃれだなぁ。ね?」
王子・・・いえ、あなたが、あたしに向かって言った。

潤んだようにも見えるその瞳に、吸い込まれそうになる。

甘いバーテンダー・・・ささくらさんは、いつの間にか目の前からいなくなり、
少し離れたところでグラスを磨いている。
渋めのバーテンダーさんは帰ってこない。

お願い、誰か間をつないで?!
王子は涼しげな顔をしてカクテルを味わってるけど、あたしにはそんな余裕はない。

「あ、申し遅れました、僕、こういう者です」
あなたは内ポケットから名刺を出して、あたしに差し出した。
「ありがとうございます」
「紫狼さんが名刺を作ってくれました(^^ゞ」
「しろう・・さん?」
「もうひとりのバーテンダーのかたです」
「あぁ、渋い方の・・・」
「渋い(^_^;)」
「あ、いえ・・・(-_-;)」

手渡された大切な名刺を、名前を、ゆっくり見る。

「まいが・・さん・・・珍しいお名前ですね」
「その代わり二郎がえらくシンプルですけど(^_^;)」

だめだ、声を聴くなんて、ましてや会話をするなんて。
時が経てば経つほど、後戻りはできないくらい好きになってしまう。

「せ、繊細な指ですね」思わず言ってしまった!!(>_<)
「そうですか?お客様もピアノ向きな長い指ですよね」
「子供の頃ちょっと習ってました」
「やっぱり?」

あなたに見られる指先。こんなことならネイルサロンに行っておくんだった。(T_T)

今までも何度か思ったけど、ピアノのレッスンを簡単にやめてしまった自分を悔やむ。

「ピアノって今から習っても上達しますか?」
思いきってたずねてみた。

「上達すると思います。もともと習われてたかたならなおさら。
 うちの近所のおばさんが、50代になってからレッスン始めて、
 今じゃショパンとか弾いてますから」
「ほんとに?すごい・・・」
「何かを始めるのに遅すぎるってことはないのかもしれませんよね。
 年配のかたが、いろんなことにチャレンジしてるのを見ると、励みになるって
 いうか、負けてられないなーって思います」

答えもまっすぐで丁寧で清潔感いっぱいなあなた。

あたしも、あなたと同じように少しでも近づけるように、弾けるようになりたい。


「二郎くん、あちらのお客様からリクエストが」
やっと帰ってきた渋めの・・・しろうさんが言った。

「はい!じゃ、失礼します」
あなたはあたしにぺこって頭を下げて、ピアノの方に戻って行った。

しろうさんとささくらさんが、一瞬目を合わせてから、あたしを見て微笑んだ。

リクエストに答えるあなたが、ふたたび美しい旋律を奏で出す。

目を閉じると涙がこぼれそうだから、目を閉じたらあなたが見えなくなるから、
見つめられる限り見つめていよう。

相変わらずあたしは、その鍵盤に嫉妬し続けそうだけど。<(`^´)>







参考文献 : 稲 保幸 著 「カクテル」(新星出版社)
         上田 和男 著・川部紘太郎 写真 「カクテル」(西東社)



勝手にBGM : aiko 「Aka」


勝手にすぺしゃるさんくす : 舞駕家次男・二郎さま