「オアシス」 〜暗褐色浪漫〜


雑居ビルの間を抜けて、走り書きのメモを見つめながらやっと見つけたバー。
少し重たげなドアを開けると、薄暗い店内のバーカウンターに、見覚えのある背中を見つけた。

私は迷わずその隣に座る。
ふっとあなたがこちらを向き、相変わらずな顔してこう言った。

「久しぶりだな」
「そうね」
私は少しだけ笑って返した。

ゆうべ突然、あなたから電話が来た。そうね、いつだって突然、そして気まぐれ。
ただ木訥(ぼくとつ)と話すあなたは、別になんてことない会話をして、電話を切る、いつもなら。
でもゆうべは違った。

「久しぶりに会わないか?」

意外な言葉だった。
そしてこうして、あなたの隣に座る私がいる。


「いらっしゃいませ」
長身のバーテンダーが声をかける。
「何になさいますか?」

私はあなたのグラスをのぞき込む。
「それ、なに?」
あなたの好きなウォッカベースだろうってことはわかるけど・・・

「カミカゼです。バラライカのレモンジュースをライムジュースにアレンジしたものです」
あなたの代わりに、バーテンダーが静かに答えた。

「じゃ、同じものを・・・」
私はオーダーした。


会うのはいったい何年ぶりだろう?
グラスを手にしてこちらを向いたあなたは、まるで私の声が聞こえたかのように言った。
「もう10年くらい会ってなかったよなー?」
「そんなふうには思えないけどね。電話でも話してたし・・・」
私も何気なく言葉を返す。


「おまたせいたしました」

バーテンダーが、私の目の前にそっとグラスを置く。
ライム色の淡い光とは対照的に、鋭い味が私の喉を潤してゆく。

「相変わらずまだヒトリかよ?」
あなたは少しイヤミっぽく笑った。
「あなたに言われたくなんかないわよ!そっちだってひとりもんのクセに!」

そうだった、私たちは電話で近況を話しては、あの頃と同じ場所に住み、同じような生活を
送っていることを、無意識のうちに確かめていたのかもしれない。

「どーせヒトリならさ・・・」
「なに?」
「いや、別に・・・」
「何よ?途中でやめないでよ、気分悪いでしょ?!」
「おまえ、ホント気ィ強いの変わってないなー」
「そんなのずっとずっと昔から知ってるでしょっ?」
「・・・そうだよな、昔から知ってるのに・・・何にも始まってなかったな」
「え?」


バーテンダーの手が、心なしか止まった気がした。


「行くか・・・」
「どこへ?」
「思い出の場所へ」

私の頭の中を、ぐるぐると10年の月日が巡ってゆく。


「ごちそうさま」
あなたはバーテンダーに告げて、席を立つ。

「ありがとうございました」
バーテンダーは静かに頭を下げ、
「またお二人でいらっしゃってください」
そう言って微笑んだ。

あなたの手は、私の肩にそっと置かれている。


バーを出て、あなたは手を挙げ、タクシーを止めた。

「はい、どちらまで?」
たずねる運転手に
「・・・思い出の10年前まで」
あなたは唐突な言葉を告げた。

運転手は思わず笑って
「すんません、あいにくタイムマシーンやないさかい、でも思い出の場所ならどこでも
 行きまっせー!」
元気のいい関西弁が返ってきた。

「じゃ、とりあえず公園通り上がってくれるかな」
「渋谷ですね?はい!かしこまりましたー!」


窓の外を夜の光が流れてゆく。
タクシーのFMからはWOLFの「暗褐色浪漫」が流れている。

私はあなたの肩に、そっと頭をもたれた。







     参考文献: 稲 保幸 著 「カクテル」(新星出版社)
           上田 和男 著・川部紘太郎 写真 「カクテル」(西東社)


     BGM: ポルノグラフィティ 「黄昏ロマンス」