Sprint Skill from Physics

物理学からのスプリント技術



運動力学からみたスプリント
   
私たちが日常生活で行う運動は、等速運動と加速度運動とで成り立っています。わたしたちは普段地球上で生活していますが、私たちが地上で立つことができるのは私たちに対してはたらいている地球の重力と地面から受ける反力とが釣り合っているからです。これが宇宙空間だとしたら無重力状態になり、私たちの体は空間に浮いてしまいます。それでは、もしも無重力状態の宇宙空間で運動したならば、いったいどうなるのでしょう。スペースシャトルから送られてくる映像を見てもわかるように、浮いた体に力が加わって運動し始めたら、何かの外力が働かない限り、その体は最初の動きをずっと継続します。これが「慣性」といわれるもので、慣性は等速運動に属します。一方、地球上では重力がはたらいているために、地上でどのように動いても地面との摩擦が生じます。この摩擦がレース中に進行方向に対して負の方向にはたらくとブレーキとなり記録を低下させる要因になるのです。疾走時に走者は、空気抵抗を除くと、空中では等速運動(慣性)・接地時は加速度運動を行っています。加速区間はどこも加速していると勘違いしている人もいるかと思いますが、推進力(加速のためのエネルギー)を得られるのは接地時のみです。

ここでは主として100mレースにおける局面ごとの力学的な分析と、それにともなって必要とされる技術について論じていきます。
100mレースはスタート・加速・速度維持・(等速)・減速(負の加速)・フィニッシュから構成されています。
 
 
100mレースにおける局面と技術
 
1.スタート   スタートの局面はブロッククリアランスとスタートダッシュから構成されます。
 
 @スターティングブロックのセッティングからSET(用意)するまで
 
Take Your Mark(位置について)では、両手の間隔は肩幅ないし肩幅から手一つ分くらい広げた範囲で手をつき、そのときの肩の位置は、地面についた手から肩までが地面に対して垂直になるようにし、リラックスします。
Set(用意)ではゆっくりと腰を上げ、腰の位置(高さ)を固定します。このときに、肩の位置が「位置について」での位置よりも前方に出ないように気をつけましょう。肩の位置が前方に出ることにともなって重心が前方へと移動し、腕で支える質量の割合が大きくなり、余計なエネルギーを使うことになります。また、スタート時に前のめりになってつまずく危険性が大きくなります。
 
次にブロックの前後幅ですが、「用意」での膝関節の角度によってブロックポジションが決定されます。一般的に、膝の角度は前脚が90°・後脚が120°〜135°といわれています。これは、関節角度と筋力および筋の収縮速度とが関連するのですが、膝関節伸展においては、関節角度が90°よりも小さいとブロックを強く押せますが反応は遅く、反対に関節角度が90°よりも大きいと筋収縮速度は速くなりますがブロックを押す力は弱くなります。ゆえに、膝関節が90°のときが最適な状態になります。後脚の膝関節角度についてはブロックを押すことよりも反応速度を重視しますのでこれくらいの角度になります。

ブロック面の傾斜角度は、前ブロックが45°後ブロックが60°を目安にセットします。この角度については後ほど詳しく述べたいと思います。クリアランス前の意識は「前脚膝」と「前足つま先」におきます。
 
 Aブロッククリアランス
 
ブロッククリアランスにおいて最も重要なことは、静止時の重心の位置を効率よく前方へ移動させることです。スタート時の重心移動は、前脚によって行われるのであって後脚によるものではありません。これは、それぞれの脚の伸展による重心移動距離を見れば明らかで、前脚の伸展のほうが前方へ移動するのです。また、第1歩目の接地は後脚によって行われます。後脚で押す意識を強く持ってしまうと第1歩目の接地が遅れます。後脚で押してスタートするのは、ベースボールのランナーやスピードスケートの選手です。

また、ブロッククリアランスについては、某トレーニングジムにおいては「押さないスタート」を推奨しているようですが、ブロックを押す(作用)ことでブロックからの反力(反作用)を得て重心移動ができるのです。ブロックを十分に押さなければ前へは進めず、その分回数(ピッチ)を必要とします。これは車で例えるならローギアではなくサードギアで発進するようなものです。その結果、ラダーを使ったトレーニングを行ったときのようにバタバタとした動きになり、エネルギーを使っているわりには前へは進まず、結果的に早い段階で疲労が現われてしまいます。

さて、ブロッククリアランスのときの重心の前方への移動に関わっている関節は、股関節・膝関節・足関節です。クリアランスでは、この3関節が伸展し、頭から足先までが一直線となるようにブロックを押していきます。実は、この一連の動作はあるスポーツと深い関連があります。それはスキーのジャンプ競技です。ジャンプ競技のサッツ(踏み切り)局面は、クラウチングスタイルからの踏み切りで股関節・膝関節・足関節の3関節が同時に伸展し、頭から足先までが一直線になる動作は、両脚・片脚の違いこそあれ陸上競技のスタートと同じです。私自身、スキーのジャンプ競技には元々興味を持っており、特にサッツの部分には注目していました。1999年の正月のある日、偶然にNHK教育テレビで放映されていたスキーのジャンプ教室を見ました。この番組では、日本の代表的な選手である、原田・船木・岡部ら3選手のサッツ時の股関節・膝関節・足関節が伸展するタイミングをスティックピクチャーを使って分析していました。それによると、
 
  原田型 = 3関節とも異なるタイミング(股関節→膝関節→足関節の順に伸展)
  船木型 = 2関節が同じタイミング(股関節と膝関節が同時→足関節の順)
  岡部型 = 3関節とも同時伸展
 
ということでした。この関節伸展のタイミングのずれを陸上競技のスタートに置き換えて説明しますと、
 
   股関節のみが早く伸展すると → 体が一直線よりも上体が早く起きてしまうスタート
   膝関節のみが早く伸展すると → 体が一直線よりも腰が引けたスタート
 
になってしまいます。力学的に見て最も効率の良いスタートは、3関節が同時に伸展して頭から足先までが一直線になり、腰(重心)が、あたかも引いた弓から矢が放たれるように前方へと移動するスタートです。このときの重心の移動距離は、膝関節を直角とし膝関節が伸展する前と後の大腿を直角挟む二辺とした直角二等辺三角形の斜辺の長さになります。ですから、重心がこの距離を移動する前に第1歩目を接地するのは得策ではありません。

次にクリアランスにおいて一直線になるときの蹴り出し角度ですが、体と地面とが成す角度は45°です。この角度については、モーリス・グリーンの所属するHSIのスミスコーチは35°での指導を行っています。同じ力で蹴りだしを行ったとしたら、35°のほうが水平方向のベクトルは大きくなります。しかし、蹴り出し角度が小さくなった分、接地時に前方へ倒れる体を支えるために大きなエネルギーが必要とされます。このスタートを行うには相応の筋力がないと体を支えきれません。モーリス・グリーンほどの筋力があって、初めてこのスタートができるのです。一方、カール・ルイスのコーチであったトム・テレツ氏は、リロイ・バレルを引き合いに出して、「蹴り出しが低すぎて前のめりになってしまっている」と分析して、45°での蹴り出しを指導しています。高校生クラスのスプリンターは45°での蹴り出しを行ったほうがよいと思います。

後ブロックの角度は、ブロッククリアランス時に左右の大転子の位置が最大限に前方に引き出された位置(ベクトル)と後脚の膝の引き出し(股関節の前方屈曲)に要したベクトルの和によって得られる位置に向かう角度になり、地面に対して後脚は30°で引き出されていくので、ブロック角度は60°を目安にセットします。
 
 Bスタートダッシュ
 
前ブロックを蹴り出し重心が前方へ移動し始めた瞬間から加速運動が始まります。既に1歩目の接地時には水平方向のベクトルが生じています。レースにおける加速とは、水平方向のベクトルの和の結果です。
接地においては進行方向へのベクトルの減少を最小限にとどめ、なおかつベクトルを加えていかなければなりません。接地時に重要なのは股関節接地点と股関節の動きです。接地点は重心の真下にくるようにします。これは、接地点が重心よりも前になると地面反力において進行方向に対する負のベクトルが生じ、接地時のブレーキが大きくなるからです。また、股関節は接地時には必ず後方に伸展していなくてはなりません。これは、股関節が後方へ伸展することで重心を接地点から前方に通過させる(逃がしてやる)ことができることと、股関節伸展(大腿の振り子運動)により進行方向への水平方向のベクトルが獲得できるからです。
スタートダッシュの動作は階段を上がる動作と同じです。HSIのトレーニングのなかには、前傾した開脚動作で階段をウォーキングするものがあり、これには低い姿勢のまま接地点上に重心を乗せるという意味があります。スタートダッシュのイメージは、階段を2段抜かしで駆け上がる動作を階段を前方に倒したイメージで行ったものです。接地の前には、一旦膝を閉めた状態で前方に引き出しておいてから、脚を引き戻して股関節を伸展させながら接地しなくてはなりません。
 
2.加速区間
 
ここでいう加速区間とは、スタートダッシュで動きだした状態からトップスピードへ持っていくまでの区間を表します。テレツコーチは「加速区間」、スミスコーチは「移行区間」と位置づけています。これを車に例えると、スタートダッシュはローギアで最適に動かせる区間で、加速区間はローギアからトップギアまでもっていくつなぎの区間です。この区間では重心の移動速度が上がるにつれて、接地時の膝関節屈曲も小さくなっていき、それにともなって使われる大腿の筋も前面の大腿四頭筋から後面のハムストリング筋群へと移行していきます。
 
3.最大速度維持
 
人はどこまで速いスピードで走ることができるのでしょうか。男子選手では、世界のトップスプリンターは12m前半/s、日本のトップでは11m中盤/s、インターハイチャンピオンは11m前半/sで走ります。重心の移動速度が上がるにつれ、同一接地時間における重心の移動距離は長くなります。これは言い換えれば、体幹を中心に考えれば脚は後方に置いていかれている(流れている)ということです。トップスプリンターの連続写真を見ることがあるかと思いますが、以下の点について見ていただきたいと思います。
 
 接地時のリカバリー脚の踵の引き付けは完了しているかどうか
 膝がトップの位置に引き出されるまで閉じられているかどうか
 接地時の支持脚の股関節は膝がトップの位置から後方にすばやく伸展しているかどうか
 
最大速度を維持するためには、接地時に支持脚が後方に流れないことが最も重要です。これは、支持脚が後方へ流れることにより脚のリカバリーが遅れ、その結果、接地時の股関節の後方伸展が十分できなくなるからです。また、膝がトップの位置に引き出される(股関節の前方屈曲)前に膝関節の伸展がおこると、慣性モーメントの増大により股関節の動きが遅くなります。脚が後方へ流れ始めると、リカバリー(股関節の前方伸展)開始時が遅れます。これにより、リカバリー脚の膝が十分に引き出されないままに接地のタイミングになり、股関節の前方屈曲の途中で下腿が振り出されてしまうのです。脚が流れると膝はよく上がりません。よく、「速く走るには膝を上げる必要はない」ということを聞きますが、膝を上げるから速く走れるのではなく、膝を上げることで接地時の股関節の後方伸展の可動範囲を確保しているのです。「疾走時の推進力は接地においてのみ得られる」ということはおわかりと思いますが、そのエネルギーは股関節伸展速度によるもので、これを上げるには股関節後方伸展のための可動域の確保が不可欠なのです。トレッドミルという機械がありますが、これは床面がベルトコンベアーのように後方に流れていく装置で、TVのクイズ番組にもしばしば登場します。これを体験してみると即座にわかると思いますが、自分の体験したことがない速度を体験できますが、床面の速さに対応するには脚を接地点の前でさばくことが必要です。それができなくなると、それ以上のスピードアップはできません。ですから、脚が後方へ流れるということは、前方へ行こうとしている自分を脚の動きが妨げていことになるのです。感覚的には地面を上から捉えて接地が終わったらすばやくリカバリー動作に入る、言い換えると自分についているスピードを利用して走れるようになれば十分です。
 
 
スプリントスキル プラス
 
1.コーナーリング
 
400mの選手はもちろんのこと、200mや4×100mRの第1・第3走者は曲線路を走ります。曲線路を走るときには、進行方向(水平方向)のベクトルの方向を少しずつ変化させながら前進していく技術が必要です。コーナーリングは一種の円運動ですから、曲走路を疾走中のある一転においては遠心力がはたらいており、円(曲走路)に対する接線の方向に進んでいきます。遠心力がはたらいている状態で接地すると、、接地点が支点となったてこが生じ頭側から外側に振られてしまいます。この遠心力による力に拮抗するために体を内傾して走らなくてはなりません。よく内傾というと上半身のみを内側に傾けて下半身はまっすぐなままの選手を見かけますが、頭から足先までを一直線にして内傾しないと体の曲がった部分が遠心力に負けて思うようにコーナーリングができなくなりますから注意しましょう。この内傾角度ですが、内側のレーンほど内傾角度が大きくなります。
曲走路を走るときの直線路のときとのちがいは、曲線路では身体を内側に傾斜しながら進行方向の左側にカーブしていくわけですから、必然的に左脚(内脚)と右脚(外脚)の動きに違いが生じます。まず、脚の描く軌跡の違いですが、左側に傾斜して走ることで骨盤そのものも左側に傾き左脚よりも右脚の描く軌跡のほうが大きくなります。異なる2つの大きさの軌跡を同じピッチで動かすわけですから、右脚をより速く動かさなければなりません。
また、走る動作の基本は上半身と下半身を反対方向に回転させることによって生ずる「捻じれ」を作り出すことで成り立っています。コーナーリングでは、これを進行方向のベクトルを変化させながら行わなくてはなりません。コーナーリングにおいて進行方向の舵取りをするのが右脚で、リカバリー時に内側に向けて膝を出していきます。このとき上体は曲走路の接地点における接線の方向を向いています。これに対して左脚はリカバリー時に曲走路の接線の方向に膝を出していきます。このときの上体は左側に捻ります。こうすることで「体幹の捻じれ」を作り出します。これを繰り返して曲線路を走りますが、内側のレーンを走る(遠心力が大きくなる)ほど右膝の回内(膝を体の内側に向けること)を大きくします。
この一連の動作はスピードスケートのコーナーリングの技術を応用することができます。
 
 
関節の動きと力学
 
1.足関節可動の力学とスプリント技術
 
足関節の可動は脛骨・腓骨・足根骨とでつくる蝶番関節によって行われます。この回転の中心になる蝶番部は足底部を、約3.1:1の割合で内分する位置にありますから、足関節を底屈(つま先を下げる)すれば踵は上がります。つまり、これは一種のテコなのです。足関節によるキック力は、このテコを十分に働かせると大きくなりますが、接地においてテコを働かせるには、足関節を背屈(つま先を上げる)させた状態で接地する必要があります。この足関節の背屈は、外から見ると足底がフラットで地面に踵をついているように見えますが、実際に踵がついていたらテコはうまく働きませんし、この状態では重心が接地点よりも後方になってしまいます。重心の移動速度が速くなるほど短時間での接地が要求されますから、実際には足関節を背屈した状態で拇指球部での接地になるわけです。




(以下工事中)