美濃屋 勤製 あつあげ



 「2週間ばかり出掛けてきます」
 「今回はどちらですか?」
 「ドイツ、フランス、イタリアとスペイン」

 今年のアカデミー賞、日本の作品が二つ受賞した。 その一つはアニメーションの作品だった。
そう、日本のアニメーション、多種多彩な漫画、コミック文化は、この国の大きな輸出資源となっている。 その文化を世界に発信し、売り込んでいる文化特使がTさんだ。 

世界の文化先進国が主たるマーケットだから、いきおいそこは欧米の国々になる。 仕事に、接客、接待は当然のようにつきまとう。 夜毎でなくとも、ところ変わる度に、その地のレストランでもてなすか、もてなされる。 そこに、金髪の女が絡むわけではないからビジネスはきわめて健全である、と御本人は言いきる。 まあ信じよう。

 そして、海外に出かける度にミシュランガイドに列挙されるレストランでの食事となる。 身銭を切って行ったとなれば、「俺はパリのラパン・アジールで喰って来たぜ!」とばかりに、大きな声で自慢するだろうに、この人はどんな店に行こうが 「うん、行って来たよ。」 と小さな声でつぶやくだけだ。 そのミシュランの店がうまかったのか、どうだったのかは語らない。
 「味を持ってくることが出来るわけじゃないから、そんな話したって虚しいでしょ。」 と、その通りのことで終わらせる。 旅先でさんざんうまいものを喰ってきた奴が、土産の絵葉書一枚で、ベラベラ喋り捲られたら誰だって腹が立つ。 それに比べりゃ、Tさんの 「虚しいでしょ」 は、裏を返せば見事にうまいものを喰ってきた証しだ。

 で、そのTさんが豊食のヨーロッパ行脚からもどると、ちびり、ちびり、芋焼酎をお湯で割り、炭火でこんがりと焼き上げた厚揚げにきざみネギをのせ、おろしショウガをそえ、熱いうちに醤油をかける。 そいつをこの上ない幸せとばかりに口に運び入れる。 これぞ究極の酒のつまみだ。 日本料理の極意がこの単純の中に詰め込まれている。

 Tさんは言う。
 「厚揚げ焼は毎日でも飽きないけど、ミシュランが毎日だったら、地獄だぜ。」

 さて、この厚揚げを造っていただいている美濃屋豆腐店、武蔵野市の西久保という所で商いを始めて50年になる。 夫唱婦随コツコツと清貧なる商いを続けてきた。 昨年の夏、働き者の奥さんが、いきなり病気で他界された。

 御主人は、その悲しみに疲れ果てて、しばらく、厚揚げはもちろん、豆腐造りをやめてしまった。 俺も途方にくれてしまった。 他の店のものを色々と試した。 どうにも足りない。 三ヵ月後、御主人は立ち直った。 再び75歳の肉体を奮い立たせて、豆腐造りを再開した。 夫婦二人で切り盛りしてきた店を、今は一人でこなしているのである。 造る量は半分になったが、さすがである。 その味は不変だ。 だから、俺は今日もTさんのため、その厚揚げをたっぷり心して焼くのである。

 末永く、いつまでも、いつまでも、美濃屋豆腐店があり続けますように。

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