ジュリアン・ロタ

 迷った末、その若者を受け入れることにした。 フランスのブサンソンという、地方の都市からもっと田舎にあるモンクレーというところからやって来た。 人よりも牛のほうが多いくらいの村だという。

 正月の2日、大きな旅行バックを抱えて玄関口に立った。
 「ワタシはジュリアンです。」
 「ハジメまして。 ヨロシクおねがいします。」

 初対面の俺に、たどたどしくも正確な日本語で挨拶をしてくれた。 きっと何度も何度も繰り返したのだろう。 素朴で実直そうな若者の、少し不安そうではあるが、その顔立ちを見た時、俺達の不安はたちどころに消えた。 言葉、文化、習慣、生活のリズムそれら諸々を考えた時、俺達の小さな家の中に異邦人を引き受けるのは考えにくかった。 俺のフランス語など挨拶と買物ぐらいは出来るだろうが、それ以上の説明となったらもう、身振り、手振りだけだ。 そして、女房が来たる日に備えて少しはフランス語の勉強をしたようだが、果たしてどんなものか。

 生活が始まった。 案ずるよりということであった。 たいがいのものは食べる。 説明する時は辞書から単語を引っ張り出し、提示する。 それを若者は読んで、俺達の顔付きを眺めながら色々と推察、解釈するのである。 そして、“Bon”と言ってうなずく。 そして急速に日本語を吸収していく。

 日本語学校から戻るとバサラでバイトだ。 掃除がおもな仕事だが、道具、呼び名、その置き場所、やり方などを説明するという繰り返しだ。
 やがて3週目で説明はいらなくなり、若者の方からこれはやらなくてよいのか、あれはどうすればよいのかと言ってくるのである。 ボンクラ野郎ではない。 フランス人は勤勉だなどとは言わない。 唯、個人の資質なのである。

 一か月がたった。 俺はバサラの店の中で仕事をしてもらうことにした。
 「オーケー、ダイジョウブ。」 とは言ってくれたものの、注文を理解は出来ない。 だから「イラッシャイ」「オマタセシマシタ」「アリガトウゴザイマシタ」 これだけは励行させて、あとは雑用だ。 ところが、ビールの色々、酒の色々、焼酎の色々をたちどころに認識した。 そして多少の混乱はあるものの、見事にやってのけた。
 日本酒の燗、焼酎のお湯割りは「ショ」(あつい)と言うだけで、若者はさりげなくお客さんに「オマタセシマシタ」と言う。 増々の日本語である。

 半年たった頃、この若者はどのように成長しているのだろう。
 再び報告したい。

 「ワタシはフランスから来ました。」
 「日本語をベンキョウしています。」
 「ジュリアン・ロタと言います。」
 「ヨロシクオネガイシマス。」
                   Bon!



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