不器用で無口

 その頃の文蔵(現在は婆娑羅)は文人墨客、地元の青年団、職人など様々な人達が集まり、実ににぎやかな酒場だった。 経済成長著しい昭和の40年代だ。 70年の安保、学生騒乱も沈静化し、夜毎、飲めや歌えの酒盛りをして、サラリーマンもやって来た。

 世界がデジタルの時代に突入する少し余裕があったかなというアナログ終焉期だ。 小説家の山口瞳が全盛であり、高倉の健さんが映画界のトップスターだった。 赤ヘル軍団、広島カープが優勝し、江夏豊が縦横無尽の活躍をして、古葉監督が宙に舞っていた。 でも、文蔵のオヤジさんはヤクルトのファンだから、そんなのは少しもうれしそうじゃなかった。 ヤクルトの野球中継のラジオを脇に置いて無言で串刺しをしていた。

 不器用で無口な人間が生きられる唯一の仕事が場末の飲み屋のオヤジなのだ。 と、俺は八木さんを眺めながらひそかに思った。 内実があろうが、なかろうが、飲み屋のオヤジという者は黙っていた方がよいのである。 ペラペラと愛想よくおしゃべりしたり、何やら訳知り顔でうん蓄を垂れたりは、そもそも客に言わせておけば良いのだ。

 大きく時代はうねり、人の生活も変容して酒場の姿も変わった。 だが、俺は今風の酒場には殆ど行かない。 口上手で滑らかな過剰サービスをされると、居心地が悪くて、どうにも落ち着かない。 従って、俺は無口で不器用なオヤジが居そうな飲屋に臭覚を合わせるようになる。

 そして、今年の夏、無口で不器用な若者に出会った。 料理学校で基礎を学び、何軒かのイタリアン・レストランで修業を重ね、その道を目指していた。 無口は実直と理解されても、不器用は人間関係の障害になった。 行き場に詰まった時、俺はその若者と会った。

 「イタリアンを保留にして、飲み屋をやってみろよ!」

 若者はだまって受けた。 俺はその伝説の酒場だった文蔵という店を婆娑羅に仕上げ、店内の環境を整えて若者に託した。 無口で不器用な男は飲屋で悪戦苦闘しているが、かっての八木さん(文蔵の主人)のように、男を磨いて名物のオヤジになるには相当の時が要ることだろう。 客のわがままに耐え、商売という風雪を背負い、次第・次第に寡黙が似合う、高倉の健さんのような男にと念じている。

 2010年のテーマ。 若者を育てる。

食べログというサイトで婆娑羅を検索すると若者の店が出てきます。
↓こちらからもどうぞ
http://r.tabelog.com/tokyo/A1325/A132503/13107171/

 若者のエネルギーにしがみつくのも我らには力なのである。

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