義援箱

 国中の人が被災した人たちへの支援になればという想いで、色々なやり方で寄付を投じている。 そして、何千億円というお金が集まったのに速やかに被災した人たちの手元に届かない。 婆娑羅でも震災後まもなく義援箱なるものを店の片隅に用意した。 語らずも 優しく、悲しく、絶望的な胸の内を抑えて酒飲みは ぽーん、ぽーんとその箱につり銭にしては多すぎるほどの金を投げ入れていく。

 箱が重みを増した頃、さて何処へこのお金をもって行こうか。 赤十字ではあまりにも巨大すぎて心が届かない。 そんな時、岩手県立大学の伊藤先生から連絡が入った。 伊藤さんは盛岡に暮らしている。 大学は滝沢村という所にある。 三陸出身の学生が沢山学んでいる。 当然、被災した学生、とその家族が沢山あった。
 そして、伊藤さん達 大学関係者は直ちに被災学生支援のための基金を設立した。 義援金のホットラインが出来た。 

 一か月程たった頃、酒飲みの血と汗と涙の第1回目の義援金を送りました。 再び重みを増して来た箱、頃合いをみて第2回目の酒飲み魂を届けます。


 その約束どおり、気仙沼の男たちは六月の末日にカツオの水揚げを実現、漁港再開の第一歩を始めた。 次の朝、もしかして調布の市場にも気仙沼のカツオがやって来ているかもしれぬ。 俺は勇んで車を飛ばした。 が、そこにあったのは銚子港からのものだった。

 ちなみに、気仙沼のカツオ、キロ単価で3千円ということだが、およそ1本6千円の値ということだ。 とても手が出ない。
 見舞、義援、祝儀 など諸々の心が加算されているのだ。 しばらくは銚子のカツオしか調布の市場には来ない。 しかし、気仙沼の始動に、心から祝福したい。

 ある人から頂いた一升瓶のラベルには気合のこもった筆で

   「負げねぇぞ 気仙沼」 とあった。

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