35年ぶりの2年B組

 17才の熱気と個性が、狭い店の中でさっそく甦った。 遠慮はしない。 喋ったもの勝ちである。 その面々、快活に喋る。 どしどし飲む。 静かに様子をうかがう者など一人としていない。

 居並ぶ面々の一人一人を俎上に載せて語りたいくらい、面白れぇの何のって。
50も過ぎれば人間、一通りの事は経験して、それぞれに艱難辛苦を乗り越えて味わい深い人間になっている。 語らねばその味わいは見えてこない。 17才の頃の心根はお互い承知しているが、その後にその者がどのように歩んだか。 そして、この人達は隠すどころか、思いっきり己れの言葉を使って見事に自己表現するのである。

 「私は年に数回、京都・奈良方面に行きます。 神社、仏閣めぐりが生涯のライフワークであります。」
 「お前、銀行員じゃねぇのかよ!」
 「それは仕事です。 仕事とライフワークは違うのです。 神社、仏閣めぐりは生きる糧なのです。 いずれ、あなた方もお世話になるのです。 その時は、私がそれぞれの方にふさわしい社・寺にご案内いたします。」 と、大真面目な口調でいなすと、もう爆笑の渦である。

 「俺はいま大阪の釜ヶ崎、アイリン地区に居ます。 労働者の救済活動をしています。 そこで暮らしている人で原発の現場仕事をしてきた沢山の人が被曝しています。 この事を世の中にもっと知らせねばならないと思っているけど、今日はその事は喋らないで、うまい酒を飲みます。」

 衝撃的な話はそこで切れた。 俺は、こういう男が大好きだ。 力を秘め、粗野であるが静かに自制する。 ああ、男という者をみた。

 「こいつの隣で飲んでいるのはただの偶然だと思うけど、東芝で原発の安全を追及していくシステムづくりをしています。 今回のことは原発に携わる技術者として、反省と悲しみの気持ちでいっぱいです。」 ざわめきは消えた。 告白を受け止めている。 その技術屋さんの悲しみを皆が共有しているように思えた。 反原発の活動をする者、原発を仕事としている者、そして、放射能汚染の現場で活躍している医者。

 思いもしなかったが、震災と原発は楽しい過ぎ去りし青春の集まりにも影を落としている。 だが2年B組はめげない。 集った面々はしたたかで、快活だ。 明日、また自らの仕事に戻り、そのそれぞれの領分の中で存分に生きるのだと思う。 こんな人達がいろいろな領分で自己実現していることが、この国の公序良俗を下支えしているのだ。
 俺は53才の2年B組の面々から、計り知れない英知と活力をいただいた。

 尚、9月17日は2年B組の貸切でした。
 その日来ていただいて、入れなかった方々、誠に申し訳ありませんでした。

 写真はカナダ カムループスから届いた松茸です。(参照:「“松茸” from Canada」H21.10月)



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