超介護

 50代、60代の客の話題は仕事につきる。 時折、胸襟を開いて家族のことになる。 その家族には当たり前だが老いて死を間近にして生きている両親がいる。 両親の面倒をどのようにしているかなんてことは、それぞれの家の事情でまったく違うから、どれが理想的老後かなんてことは誰も言えない。

 先日来た床屋さんのご主人は、「俺のお袋なんか、肺炎をこじらせて入院したら、その3日後に逝っちゃったよ。 それまでは掃除、洗濯、炊事、全部一人でこなしてたのになぁ。」

 これこそ、俺の理想だ。
 俺のお袋は大正の11年生まれ、そろそろ90歳になる。 いよいよ長寿の大台だ。 元気だ。 食欲もしっかりしている。 その生命力が時に疎ましくもなる。 二人暮らしの毎日、俺は殺意と理性の渦にゆすぶられながら介護生活をしている。

 朝、女房から電話があった。

女房 「お母さん いつイクの?」
俺 「いつだって、逝かせたいさ。 いつ逝ってもいい位の覚悟はできてるさ。」
女房 「町田の妹さんの家に泊まりがけでイクって言ってたでしょ」
俺 「ああ、イクってそっちか。 俺の心の中のイクは逝くなんだ。 ワクワクする解放の言葉なんだ。」
女房 「ヒドイ! ヒトデナシ!」

 それで電話は切られてしまった。

 朝飯を食べながら、不道徳な息子を持ってしまったのもお袋の因果かねぇ。 と質ねたら、ニコニコしながら 「5年ぐらいすぐ経っちゃうよ。」と、軽くいなされた。
それって、まだ5年も生きるってことかよ。 すげぇなぁ。 そう返すしかなかった。
入れ歯で噛み砕けなくても、タクアンを食べようとしているぐらいだから、その可能性は充分ある。 ああ、先が見えねぇ。

 3月11日は病院に入院していた。 体力も弱り、おぼろげながら死の予感があった。 それでも、身体の危機的状況はクリアして家に戻ってきた。 そして、再び居宅介護が始まった。
 病院で手厚く面倒を看てもらった生活を引きずってきたので、当初はおとなしかった。 が、俺の作るうまい食事をたいらげるようになり、にわかに体力も回復し元気になった。 すると、人間 自分でやれることはやろうと意欲してくれるのはよいが、それをうまく出来ないから老いなのである。
 失禁、妄想、トイレ騒動(オムツをつまらせる)、etc。 やるぜ、やってくれるぜ、笑わせるぜ、そして泣かせるぜ。

 人間の終末は孤独だろうが、そこに到るにはとんでもなくやっかいで、人の手助けがなければ死の静寂なんて、なに寝言いってんだよだ。 糞尿にまみれて悪戦苦闘も、いつ終わりがくるのかわからない。 だから平気になって、俺は介護の熟練となった。 もう超介護だ。 

   超介護、それは己が死を見つけたり。

ということだ。 今こそ、楢山節考を もう一度読もう。 

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