珍客万来

 酒のみによる 酒のみのための 酒のみの店であることを標榜して30なん年もやっていると、少しは世間様の知るところとなった。

 バサラという同じ名の店も ちらほら耳にする。 そんな店の宣伝コピーを見てびっくりした。 俺の書いた文面をそのまま使っていて 「そりゃあダメ だ」 と言ってやろうとしたら、いつの間にか消えていた。 じきに店も消えちゃうだろうから放っておく。

 人様の認知度があがれば、必然「酒のみの店」が そうでない人にも知られる。 酒場なのに酒場として楽しく過ごしてくれない人々もいらっしゃる。 インターネットや本など色々な媒体に載れば、嫌が応にも多彩な方々がおいでになる。

 客をえらぶことも こばむことも出来ない。 ただ満席の時は、心苦しいがそうしなければならない。 そんな状況でも、平然と酒も飲まず お喋りに興じているお母さん達がいたりする。 ひと時、育児から解放されたのだろう。

 仕方ないなあ思いつつ、2時間もたつと俺だって切れる。 気の弱いのみ屋の主人は そっと 小さな声で、心の中では猛然と蛮勇をふるって “もし、注文がないのなら 外で待っている人がいるので・・・” と言うことにしている。 グラスのビールは生ぬるい ただの液体として そこにおかれている。
 そりゃあ ねぇだろ! 生ビール一杯やそこらで長居されちゃあ商売あがったりだぁ と、啖呵を切りたいなあ。 
でも のみ込んだ。

 50才位の男二人、 入ってくるなり料理を何品も何品も注文する。 ずいぶん元気な人達だなぁ と思っていたら、酒はのまず、ウーロン茶をすすりながら、モツ焼き、煮込み、イカワタ、玉子焼き、ぬか漬けなどを次々と召し上がっていく。 その間 二人は会話をかわすことなく料理が出てくるのをひたすら、だまって待っている。 そして、バクバク喰っている。
 俺はつくづく 「ああ、嫌だなぁ」 と思った。 いい大人の男なのに所作にうるおいがない。 だが、どんな食い方をしようが、金を払っての堂々たる客だ。 文句あるかと言われりゃ、ごもっともですとしか言いようがない。

 俺の胸の内で 黒い情念がうづまく。 客の前で バクバクしないように 自分にハラハラしている。 
と、そんな時である。 作務衣を着て 頭には一茶がかぶっている小さな丸い帽子をのせて、ひょいっと入ってくる。 奇妙なのはイデタチだけではない。 黒ぶちのメガネ、チョボヒゲ、酒やけの赤ら顔、もう充分コメディアンだ。 その昔、トニー谷という人がいた。 俺は再来だと思っている。

 本人は大真面目に生きている。 滑稽であることに誇りをいだいている。 うまそうにボトルの芋焼酎をのむ。 じっくりかみしめるようにモツ焼きをほうばる。

 そのトニー谷が ある日 俺に一冊の本をさし出した。
 「株の世界、ぶっ飛んでいる仲間たち」 というタイトル。 著者は 岡本昌巳とある。 その写真を見ると、それはトニー谷本人であった。 トニー谷は証券業界のジャーナリストであったのだ。 このかけ離れた日常のいでたちと、経済ジャーナリストという職業、一貫性がまったくない。
 トニー谷は 近頃のバサラの珍客中の珍客である。 俺の心もホッ!とする。

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